定年後の生活ブログ

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祖父の土葬と「埋め墓」「参り墓」の両墓制

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ハスの花

祖父は土葬

 私が中学生の時、祖父が亡くなりました。夜中に「泥棒が来た」と叫んでいたようで、いわゆるボケていたということです。

祖父の葬儀は家で行いました。そしてソウレンと言って行列をつくって、集落の端にある「サンマイ」という墓地までみんなで行き、近所の方々に掘っていただいた穴に埋めて土葬としました。

私のご先祖は、そうやってここに葬られてきたということです。

両墓制

 一般にはこの場所を「埋め墓」というようです。もう、50年近く前のことですが、その時は、まだ土葬をしていたということです。

死者を埋める場所とは別の所に、○○家のお墓があります。

これは「参り墓」と言って、法事やお盆の時などはこちらにお参りします。

このようにお墓が2つあるのは両墓制というものらしいのですが、近畿・中国・四国地方に広く行われていたようです。関東・中部地方でもみられることがあるようです。

埋葬に関する法律

1948年「墓地、埋葬等に関する法律」が制定されています。

第4条に「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行ってはならない」とあり、墓地に指定された場所以外に葬ってはいけないということです。

第10条に「墓地の経営には都道府県知事の許可が必要」とあり、墓地とするためには許可が必要ということです。

実際に墓地を管理運営する地方自治体や宗教法人は土葬を受け入れない場合が多いので、土葬が禁止されているように思えるのですが、許可があれば土葬は出来るようです。

土葬の歴史 

縄文時代や弥生時代から土葬が一般的でした。古墳時代の権力者のお墓は円墳、方墳、前方後円墳などがあります。

仏教の影響で火葬が広まってきました。天皇として最初に火葬されたのは持統天皇です。それ以後、貴族や僧侶が火葬されるようになりました。

しかし、皆が火葬されるようになったわけではありません。煙とか臭いの問題があるし何といっても火葬のための薪が大量に必要です。

火葬のための専用の施設が整備されるまでは、土葬が広く一般に残っていたようです。

伏見桃山陵(ふしみももやまのみささぎ)

明治天皇は火葬ではありませんでした。

京都の伏見城跡地に陵が営まれています。墳丘は天智天皇陵をモデルにしたと言われる上円下方墳となっています。

一度、参拝させてもらいましたが、南側には230段の階段があります。そこを上がると鳥居があり、その奥が墳墓になります。

宮内庁が管理しているので、きちんと整備され静寂で厳かな環境が保たれていました。

おわりに

 祖父の後は、火葬が一般的になったため土葬は見られなくなりました。 しかし、今でも埋め墓である「サンマイ」は、少し荒れてはいますがそのまま残っています。

夜は真っ暗で背筋がぞくっとするような感じがして、今でも近寄りがたい雰囲気です。

そろそろ私も死後のことを現実的に考えておかなければと思います。