はじめに
香川県琴平町では、毎年、春には日本最古の芝居小屋である金丸座に、
歌舞伎役者さんたちを迎えて、
「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が盛大に開催されています。
こんぴら歌舞伎が始まると讃岐路に本格的な春が到来するといったような、春の風物詩となっていました。
令和2年には第36回「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されることになっていましたが、残念ながらコロナの影響で中止となりました。
令和3年も耐震改修のために開催されないということです。
こんぴら歌舞伎が開催されている金丸座は、
江戸時代末(1835年)に建築されたもので、国の重要文化財として指定されています。
正式には「旧金毘羅大芝居」ですが、通称で「金丸座」と呼ばれています。
金丸座について、詳しくはこちらをご覧ください。⇩⇩⇩
昭和になって「金丸座」は防災や観光振興の観点から、
少し離れた高台に移転・移築されて復元されました。
跡地には琴平町立歴史資料館が建てられ、
「金丸座」関係や「こんぴら参り」などの歴史資料が展示されています。
琴平町立歴史資料館
入り口
こんぴら歌舞伎関係
玄関に人力車
お練りといって、歌舞伎公演の時に琴平の町を役者がパレードをします。
役者さんたちは、人力車に乗って多くの人の歓声を受けます。
たくさんの絵看板
こんぴら歌舞伎で上演された演目を宣伝する絵看板です。
第1回こんぴら歌舞伎の絵看板
解説には「再桜遇清水(さいかいざくらみそめのきよみず)」
中村吉右衛門、澤村宗十郎、澤村藤十郎とありました。
17代中村勘三郎さん「三茄子」
木枠の左側に「第三回四国こんぴら歌舞伎大芝居」、右側に「昭和62年4月15日初日21日千穐楽」とあります。
「一富士二鷹三茄子」
縁起の良い初夢とされています。富士は高く、鷹はつかみ取る、茄子は「成す」の意味で実がよくなる=子孫繁栄を意味するという説があります。
中村家だけでなく、子々孫々まで歌舞伎が繁栄することを願っての表現なのでしょうか。
歌舞伎役者さんのサイン
たぶん坂東三津五郎さん、片岡仁左衛門さん、澤村藤十郎さん、片岡愛之助さんなど
たぶん松本幸四郎さん、市川染五郎さんなど
こんぴら歌舞伎に出演された役者さんたちが残された記念のサインが、この他にもたくさんありました。
民俗資料関係
天狗の道者
金毘羅大権現の使いは天狗であると信じられていたことから、天狗のお面を背負って歩く宗教者が、江戸時代にはいたそうです。
巨大な鬼瓦
かつての金丸座にあった鬼瓦が展示されていました。
江戸時代の街並み再現
金刀比羅宮と門前町の様子がミニチュアのジオラマで再現されていました。
商家の道具
江戸時代に使われていた商家の道具が展示されています。
富くじ
江戸時代に金丸座では富くじが行われていました。
今の宝くじのようなものです。
箱の中にある木札が入っていて、木札を錐で突いて当たりを決めていたようです。
おわりに
歌舞伎公演が行われる金丸座が、かつて存在していた場所に資料館がありました。
江戸時代には、金刀比羅宮のおひざ元のこの地に多くの人が集まり、
歌舞伎見学を楽しんでいます。
こんぴら歌舞伎の資料がたくさんあり、有名人が残したサインを見て楽しむことができる場所でした。