定年後の生活ブログ

定年後の徒然なる事を四国から発信

認知症になった父親のこと

 

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父のお兄さん

 父には、戦前、満州で亡くなったお兄さんがいます。

私の伯父さんですが20歳中ごろに、若くして亡くなってしまったので写真でしか見たことがありません。

伯父さんは陸軍士官学校を卒業して飛行機に乗っていたようです。

飛行機関係を専門にして進んでいたようなのですが、詳しいことは分かりません。

満州の北部辺りで、乗っていた最新鋭の飛行機が空中分解して死んでしまったと聞いています。

これからという時に、無念な気持ちであったのではなかったかと思います。

 

片付けていると伯父さんの古いアルバムの中に、雄大な富士山を背景にして飛んでいる1枚の写真が出てきました。

伯父さんが操縦しているのかどうかは分かりません。

何となく合成写真みたいな気もしますが、とても素敵な構図の写真です。

もし伯父さんが操縦していたのであれば、どんなに気持ちが良かったことでしょうか。

この飛行機は主翼が2枚で日の丸があるので陸軍の練習機だと思うのですが、詳しい方が見ておられましたら教えていただければと思います。

 

父親が認知症

 私の父は2年前に亡くなりました。

92歳でしたので天寿を全うしたともいえます。

ただ、最後の5年ぐらいは病院や老人施設を行ったり来たりで、病院のスタッフさんや介護の方々に大変お世話になりました。

認知症で、何もかにも忘れてしまい、日常の生活も自分ではできない状態でした。

もちろん私に会っても誰かは分かっていません。

急にこのような状態になったのではなく、すでに80歳代のはじめぐらいから徐々に進行していったように思います。

そのためか私は特にショックを受けたという意識はなく、あるがままに受け入れていったように思います。

パトカーに乗って帰って来た父 

まだ家に一人で過ごすことが出来ていた時、姉から私の職場に電話がかかってきました。

近所の人から電話があって「父がパトカーに乗って家に帰って来た」という知らせがあったので、見に行って欲しいというものでした。

すでに認知症の診断がなされており、その影響かと思いながら急いで行くと、いつものように何もなかったかのごとく一人でいました。

「どこかへ行っていたのか?」と聞いても「どこも行ってない」との返事です。

特に変わった様子もなかったので、追及しても仕方がないと思い、どうということのない話をしてから帰りました。

 

後で、 父がパトカーで帰って来た事の顛末を聞きました。

家から4㎞ぐらい離れている所を、とぼとぼと歩いている父を誰かが見て、警察に連絡してくれていたようです。

警察がパトカーに乗せてくれて、家まで帰ってきました。

その時、本人かどうかを近所の方に確かめたようです。

それで近所の方が姉に連絡をしたという訳です。

多分、散歩にでも行って帰りの道が分からなくなったのでしょう。

警察をはじめとして地域のいろいろな方にお世話になり、無事に家に帰って来ることができました。

 

今となっては笑い話ですが、途中で溝に落ち込んだり、交通事故に会ったり、そのまま誰にも気づかれずに山の中に入り込んだり、様々なことが考えられるので、一歩間違えると大変なことになります。

幸いなことに、地域の多くの方々の見守りの中で大事に至らなかった出来事でした。

地域での見守り 

私も一度、同じような経験をしたことがあります。

晩の8時ごろに散歩をしていて、おじいさんがスーパーの場所を聞いてきました。

そのスーパーは5キロぐらい離れている所にあり、これは帰る道が分からなくなったんだなと考え、申し訳なかったのですが警察に連絡して来てもらいました。

警察の方にはお手数をかけました。

多分、こうしたことは日本全国で珍しくもない出来事になっているのではないかと思います。

地域での見守りが大切だと改めて感じました。

父親の意識不明

父が80歳を超えていた時、もう10年以上も前のことですが、一度、意識不明になったことがあります。

ある朝、起きて来ないので部屋を見に行くとひきつけを起こして意識が無かったのです。

呼びかけても返事もしません。

初めてのことなのでひどく動揺しました。

急いで救急車に来てもらって病院に行きました。

付き添いで私も救急車に乗りました。あさの8時か9時の頃だったと思います。

 

救急病院では、ストレッチャーの上に寝かされた状態でしばらく待っていると、父はふらふらっと立ち上がるではないですか。

横になっていなければいけないと私は声をかけるのですが、まるで夢遊病者のように、意識があるのか無いのか分からないのですが、ストレチャーの上で仁王立ちになっていました。

何がどうなっているのかが分からず、またもや私は動揺してしまいました。

 

そこは病院だったので看護師さん方がなだめすかして、ドクターの診断を受けることが出来ました。

取りあえず点滴をしてもらい、またMRIとかCTなどのいろいろな検査があるので入院ということになりました。

検査の結果は特にこれといったこともなかったようなのですが、しばらくは病院で様子を見ることになりました。

父の入院生活

私は仕事もあったので、仕事終わりに病院へ見に行くようになっていました。

ところが病院に父を見舞いに行くと「ここはどこか?何でここにいるのか?」ということを繰り返し繰り返し聞いてきます。

そのたびに意識がなくなったこと、病院に運ばれたこと、ドクターがしばらく様子を見なければならないと言っていることを何度も何度も説明しなければなりませんでした。

説明すると、その時は「そうか」と言って納得するのですが、すぐまた同じことを聞いてくるという状況でした。

 

2~3日すると、これに加えて「もう帰る」と言って聞きません。

仕方が無いのでまた同じことを説明し、ドクターの許可が無いので、まだ家には帰れないことをこれまた何度も何度も話さなければなりませんでした。

 

そのうちに、夜の暗い時間でしたが「もう帰る」と言って病室を出て行ってしまったのです。

ほうっておく訳にもいかず後を付いて行くと、一人で帰れるから付いて来るなと言ったりします。

本人もどこに行っているのか分からなかったのでしょう。

大きな病院の周りを3周して、もう病室に帰ろうと声を掛けやっと病室に帰ることになりました。

 

明らかに認知症の症状であると思いました。

それまでも何か変だなと思うことはありましたが、日常の生活は普通にできていましたので、それ程その症状については感じることはありませんでした。

しかし、自分の家とは全く違う病院という大きな環境の変化が、父の症状を顕在化させたのだと思います。

 

病院でいる間は意識が無くなったりすることはなかったのですが、点滴を自分で外してしまったりして看護師さんを手こずらせたりしました。

1週間もたたずに退院することになりました。

 

家に帰って来ると、また普段通りの何事もなかったような生活に戻り、以後、亡くなるまで意識不明になるようなことはありませんでした。

認知症と家族

なぜ、あの時だけ意識が無くなったのかは今となっては分かりませんが、認知症は確実にこの時に進行していったように思います。

私の父は多くの方々に介護されお世話を頂きました。

そのお陰で家族は何とか平穏な生活を営むことが出来たと思っています。

家族だけではどうしようも出来ませんでした。

 

今現在、認知症の親御様などを介護されておられる方もたくさんいらっしゃるかと思います。

高齢化が進んでいる社会では介護は大きなテーマです。

何とか良い方向で進むようになって欲しいと願っています。

認知症になったらいいことがある?

 父が認知症になったことで、私もいずれはそうなるかもしれない、と思うようになりました。

認知症のTV番組があると気になって、よく見ています。

予防にいいというものがあると、つい試してみたりしています。

ブロッコリーがいいとか、赤ワインとカマンベールチーズの取り合わせがいいとか、そんなことです。

でも、どれも3日坊主で終わってしまいます。

 

父を見ていて、何を考えているのだろうか、何か考えているのだろうかと思っていました。

会話が成り立つわけでなく、何を言っているのかも分かりません。

ただ単に自分の快・不快だけの感情だけで、何かを考えているようには見えませんでした。

もしそうであれば「死」について考えることもなく、「死」に対する恐れや不安も無いのではないかと思ったりもします。

人はやがては死にゆくものです。

いやでも死について考えることはあるでしょう。

考えれば考えるほど、死に対する恐れとか不安が生じてきます。

 

そんなことを考えていると、人生の最後に認知症になるのも悪くはないのかもしれないと思ったりします。

ただし周りの人には大いに迷惑をかけることになるでしょう。

しかし最後まで頭がしっかりとしている方がいいのか、認知症になって分からなくなってしまった方がいいのか、そんなことは誰にも分かりませんね。

母の形見の着物

 

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母の着物

母は70歳にならないうちに他界しました。

 

姉が母の着物を片付けていました。

昔はハレの日に着物をよく着ていたようですが、今はまったく着なくなりました。

タンスの中の肥やしになっています。

母の着物も同じ運命です。

姉が思いを書いてくれました。

「母親がなくなって約20年が経ちます。母の着物を私が着ることはもうないだろうと思い、和箪笥の片づけに取り掛かりました。

見覚えのある着物がちらほらと出てきました。私の入学式に着ていた着物や黒い羽織。

昔は入学式にお母さん方がみんな着物を着て、その上に羽織をはおっていました。今は洋服が普通になり、夫婦で参加する家庭も多いようですが、私のころは一人だけの参加でした。

振袖を着る時しめてくれた袋帯。同窓会に着て行った着物。

仕分けをしていると母が着ていた姿が思い浮かび、少しずついろいろな記憶がよみがえってきます。

いらなくなった着物は、古着屋さんに持参して引き取ってもらいました。『1キロ5円ですが…』とすまなそうに言われました。

大風呂敷いっぱいで100円です。この100円は使えないなと思いました。捨てるのはもったいないので、誰かの役に立って欲しいものです。

手元に残した着物は、なんとか洋服などにリフォームして着たいと思っています。」