定年後の生活ブログ

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女子の多い農業高校

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オリーブの花

 

女子の多い農業高校

 

 農業高校で勤務したことがあります。農業高校では作物の栽培や動物の飼育を通して、人が生きていくことの根本を実体験として学びます。

 実習で種蒔きや水やり、生き物の世話等いろいろな作業を日々、繰り返します。

 正月に農場へ行ったことがあるのですが、当番の生徒が黙々と豚にエサやりをしていました。動物には盆も正月もありませんから仕方ないですよね。

 本当に地味な作業の繰り返しなんです。地味ですが毎日、ちょっとずつ変化があるんです。それを肌で感じることが出来ます。

 今、この農業高校の生徒に女子が多いんです。

gollila-super-hero.hateblo.jp

さんのブログを見て、改めて思いました。20年前までは男子が多かったのですが、今は女子が圧倒的に多いんです。

 時代の変化なのでしょうか。テレビを見れば料理や美味しいお店の紹介番組ばかりですよね。

 食べるということに関しては、出産を通して男よりも生まれることの本質を理解している女性の方が感度が高いと思います。

 生まれてから「生きるために食べる」ということを突き詰めれば、食の生産である農業や水産業に突き当たります。

 女子の方が豊かな食の生産が大切であるという時代のトレンドにいち早く気づいており、それが農業高校に多く入学している一つの理由ではないかと考えたりします。

 よろしければgollila_super_heroさんの書かれているブログを訪問し、 農高生活の様子を知っていただければ幸いです。

農業高校の野球部

 

 農業高校にも野球部があり、熱心に練習をしています。

 昨年は金足農業高校がとても強くて夏の甲子園を盛り上げてくれました。農業高校が甲子園に行くことはあまりないので、その活躍に大いに元気づけられたものです。

 しかし私の勤務していた農業高校は県大会で1回勝てるかどうかという実力でした。

 昨今の農業高校では女子が多く男子が少ないので、9名の部員を確保することはとても大変なようです。何とか試合のできる人数を確保して夏の大会には参加しています。

 

  それでも夢は甲子園ということで毎日、練習を頑張っています。

 残念ながらその甲子園も中止され、県の大会もどうなるか分からない状況なのですが、何か良い知恵を関係者が出すことを願っています。

 甲子園を中止するにあたって主催者がその説明をしているニュースを見ました。この大会を目指して多くの高校生がたゆまぬ努力を積み重ねていることから、中止を決定しなければならないことは断腸の思いであるというような趣旨であったと思います。

 コロナの問題が始まって以来、断腸の思いとか苦渋の決断とかという言葉をよく聞くようになりました。「苦渋の決断」というのは渋くて苦いものでも飲み込まなければならないことがある、というように分かりやすく理解できるのですが、「断腸の思い」の「断腸」はなんか変な言葉で、どういう意味があるのだろうかと思ってしまいました。

 腸を断つと死んでしまいますよね。なぜ腸を断つのでしょうか。

 『大漢和辞典』で調べてみると、中国の『世説新語』(実在の人物が出てくるが史実ではなく物語的なもの)に元となった話がありました。

 「晋の桓温が三峡を過ぎた時、従者が子猿を捕まえた。その母猿が嘆き悲しんで百余里も追いかけてきて、ついには船の上に飛び乗って悶絶してしまった。悶絶した母猿の腹を裂いて見ると、腸がズタズタに切れていた」というものです。

 三峡というのは長江にある三つの峡谷の総称で、東晋の武将桓温が船で長江を上り、蜀に攻め入った時の話のようです。

 母猿が捕まった子猿を追いかけて悶絶したのは、母子の情愛を示すものとして分かるのですが、この母猿のお腹を裂いたというのは、なんでそんな話になるのか不思議です。

 えらく残酷で荒唐無稽な話だと思ってしまいました。

 母親が子供を思って嘆き苦しみ、腸がズタズタになっていたことから、はらわたの千切れるほどの悲しみとか甚だしく心を痛めるといった意味で「断腸の思い」という表現が使われるようになったようです。

 この話でいくと「断腸の思い」であったのは母猿です。

 単に心を痛めるということではなく、はらわたの千切れるほどの悲しみを味わっています。母猿の思いは想像を絶するものではないでしょうか。

 「断腸の思い」というのは結構、深くて重いものであり簡単に使えるような言葉ではないと感じました。

100年前のコメを食べました

 

 ある農業高校が創立100周年を記念して明治時代のコメを再現しました。ただし明治時代の種を使ったわけではなく、それに近い品種のコメが関東の方の研究所にあるというので、それを少し分けてもらい何年かかけて増産したものです。

 1合ほどの量でしたが、早速、炊飯器で炊いてみました。

 色は今のような真っ白いものではなく、少し黄色みを帯びています。食べてみた感じですが水加減もあるのではっきりとは言えませんが、今のものより少しパサパサしていると感じました。

 やっぱり私たちが食べているお米の方が断然おいしいと思います。今現在、美味しいお米の代表はコシヒカリで作付けでいうと3分の1を占めているそうです。

 100年以上かけて美味しいお米の品種を研究・改良してきた成果ではないでしょうか。

 今でも品種改良の研究は続けられている訳なので、これから100年経つともっともっと美味しいお米ができるのでしょう。

 その時、平成の人はこんなお米を食べていたのか、と驚かれることになるのでしょうね。