ツバメのこと
「代かきの 水面飛び交う 燕かな」
田植えの準備のためにトラクターで代かきをしていると、目の前を勢いよくツバメが飛び交っていました。
何匹もが、もの凄い勢いで、よくもぶつかりもせずに鋭くターンをしたり直進したり、切れ味鋭い飛び方をしていました。
その時の情景を読んだ句です。いつもながらの駄作だと思いますが、笑って読んでください。
「日本野鳥の会」が2012年に全国的にツバメの調査をしています。それによると、約4割の方がツバメが減っていると感じているようです。
特に、都市部では人が巣を取り除いてしまっているようで、そのためツバメの子育てが困難な状況にあるとのことでした。
それだけではなく建物が西洋風になって巣作りの場所が確保されにくいとか、農業が衰退して水田や耕作地が減少したのでエサになる虫が少なくなっていることも原因と考えられています。
古来、人間とツバメは共生してきましたが、そのような状況が大きく変容しているようです。
ツバメの季節だと感じ入っていたところ、門の軒下にある蛍光灯の上に巣を作っていました。
すでに赤ちゃん雛が3匹、大きな口を開けて親鳥にエサを催促しています。
昔ながらの光景です。
子供の頃には、家の中の土間にツバメの巣を作っており、家の中と外をつなぐために壁の上には小さな丸い穴を開けていて、そこをツバメが通って出入りしていたと思います。
その母屋は50年前に立て替えましたので、面影もありません。
毎年、田植え時期には決まってツバメが巣を作っていました。
夏には飛び立ってしまうのですが、ツバメの子供が飛ぶ練習を見ていると楽しくなりました。
ツバメが巣立ってゆくときは家の周りを何回も飛び回り、さよならを言っているように感じたものです。
子供の頃の思い出です。
ツバメは雨の当たらない所や安全な所を探して巣を作ろうとします。
納屋の中や軒先に巣を作ろうとするのですが、糞で巣の下がかなり汚れてしまいます。
それを嫌う人が多くなり、こうしたことからツバメの数がかなり減少しているようです。
ツバメの益鳥としての役割は昔も今も変わらないのですが、人間の生活スタイルの変化がツバメに影響しているのでしょう。
ツバメがいなくなることはないと思いますが、ツバメにとっては受難の時代のようです。
しかし、今年はこんなところに巣を作って子育てをしています。久しぶりに見る光景でした。
無事に育ち、巣立っていって欲しいと思います。
子供も田植えに動員されていました
田植えの時期は、一家総出で田植えにかかっていました。
まだ子供だったのでよく覚えていませんが、今の田植えの様子とはだいぶ違っていました。
まず田んぼで苗を育てるための苗床を作り、その上に種を蒔いて苗を育てます。20㎝ぐらいまで大きくなったら田植えです。
苗床に密集している苗をわらでしばって束にして、水田に持って行く準備をします。茶筒ぐらいの太さの束です。
水田に束にした苗を持って行ったら、畦から田植えをする人の後方に投げ込んでいきます。
投げ込まれた苗を取っていきながら、田に植えていくのです。
植えるときは等間隔に印をつけた道具を使って、縦横がきちんとそろうように植えていきます。この道具を「じょうぎ」と言っていました。
田んぼ1枚を植えるのにどれぐらいかかったのかは分かりません。姉とは朝から夕方まで大人が何人もかかって丸1日はかかっていたのではないかと話していました。
今では田植え機ですると2時間ぐらいで終わります。あっという間です。
しかし全部を手作業ですると、とんでもない重労働です。特に、前のめりに中腰でずっと作業するので腰が痛くなります。
中世の田植えの情景を描いた絵には、お囃子をしながら田植えをしているものがあったと思いますが、囃し立てながらでなければそんなに長時間はやってられないことでしょう。
昔は田んぼが7つも8つもあったので、1週間以上は田植えばかりをやっていたのではないでしょうか。
当然、小学生も貴重な労働力として駆り出される訳なので、小学校も農繁休業ということです。
私も子供ながら手伝いをしていたようなのですが、そこはあまり記憶がありません。
ただゴムの地下足袋をはいていたんですが、私の足のふくらはぎにヒルが吸い付いて血をたらふく吸って大きくなっていました。
そのヒルを手で取って、道で踏みつけてもなかなか死ななかったことが印象に残っています。
姉は、一筋分植えたら終わりにしようと親が言うので頑張ったのに、終わったら、まだいけそうだからもう少しやろうと言われて、頭にきたと言っていました。
田植えは、子供の手を借りなければならない程の重労働なので、親も無理を承知で手伝わせていたのだと思いました。
田植えの時は半ドンでした
田植えをした後は、どこから湧いてくるのか、不思議なことにカブトエビが繁殖して泳ぎ回っています。子供の頃は捕まえて遊んでいました。
そういえば小学生の時、田植えの時期には農繁休業がありました。
姉とそのことについて話していると半ドンだった、と言っていました。私の方が年下なのでよく覚えていなかったのですが、半ドンだったということです。
久しぶりに「半ドン」という、今では昔懐かしくなった言葉が出てきました。
我々の世代なら毎週土曜日も半日は仕事や学校があったことを普通に経験しているので、「半ドン」という言葉も何の違和感もなく使ってしまいます。
学校が土曜日を休みにしたのは1992(平成4)年の9月12日からで、2学期からいきなり月に1回だけ第2土曜日を休みにするようになりました。
通常であれば年度が変わる4月からなのですが、この時は、年度の途中でいきなりの変更でした。
当時は宮沢内閣で文部大臣は鳩山邦夫さんです。大臣の鶴の一声で急に月1回、9月からではありますが週休2日となったのです。文部大臣の指示というのは、えらく力があるもんだと思った出来事でした。
その後、1995(平成7)年からは月に2回、第2と第4土曜日が休みになり、2002(平成14)年からはすべての土曜日が休みになりました。
これでいくと、20歳半ば以上の人は何らかの形で半ドンを経験していることになります。
ただ、「半ドン」という言葉はどうでしょう、何歳ぐらい以上の方なら分かるのでしょうね。懐かしい響きです。