父が亡くなってから2年が経ち、今年の3月に「向かわれ」(一周忌)をしました。
父の死亡
父は老人ホームで体調不良となり病院に運ばれましたが、時すでに遅く、そのまま息を引き取りました。
その日は亡骸を家に連れて帰り、久しぶりに我が家で過ごすこととなり親族や近所の方々に最後のお別れをいただきました。
会館での葬儀
20年程前に母が亡くなった時の葬儀の時は、家にお坊さんを招いて近所の方々の手助けで執り行いましたが、父の葬儀は新しく出来た会館で行いました。
昔からの田舎は隣近所のつながりが強いため、そう簡単に冠婚葬祭の仕方を急に変更することは難しいものです。
家で葬儀をするとなるとあちこちに気を使うことになり、それでなくても憔悴しているので疲労困憊してしまうことになります。
しかし、近年あちこちに葬儀のための会館が出来ており、田舎といえども家で葬儀を執り行うことはほとんど無くなりつつあります。
お通夜
一晩、家で過ごした後、翌日に会館に移動します。会館において入棺の儀として身を清めたのちに棺桶の中に父の遺体を納めます。
この日の夜にお坊さんにお経をあげてもらい通夜を行いました。
葬儀・告別式
翌日に葬儀・告別式を執り行いました。
お坊さんによる読経、親族をはじめとして参列くださった方々の焼香、親族を代表しての挨拶と葬儀は進み約1時間程度で終了しました。
この後、親族は火葬場に向かいます。葬儀場から出発するときには、親族以外の参列された方々に最後まで見送っていただきました。
火葬場
近代的で厳かな雰囲気のある火葬場に着くと係の方が待ってくれており、ここで最後のお別れをします。棺桶の小窓から覗いた父の顔は小さくて、安らかに眠っているように見えました。
棺桶を炉の中に入れて重い扉を閉めるとガチャンという冷たい音が聞こえました。
この後、遺骨になるまでには時間がかかるので、いったん会館に帰って休憩を取ります。遺骨になったころを見計らって、再び火葬場に向かいます。
遺骨拾い
お骨上げということで父の遺骨を竹の箸で拾い上げて骨壺の中に移していきます。箸を使うのはこの世とあの世を橋渡し(箸渡し)するということのようです。
遺骨は下半身から上半身へと拾っていきます。最後に故人に最も縁のある人がのどぼとけを納め、頭がい骨で蓋をするように入れていきました。
足を骨折して手術したときに入れていた金属が真っ黒になっていたのが印象的でした。
全部の遺骨を骨壺に入れることはありません。残りの遺骨や遺灰は火葬場の係の方によって埋葬されることになります。
初七日
遺骨を拾った後は、骨壺と一緒に会館へ戻って初七日を行います。
初七日とは文字通り命日から7日目ですが、参加する方々の仕事の都合などにより、葬儀当日の火葬後に行ってしまうようになりました。
初七日というのは故人が三途の川にたどり着くまでの期間です。
三途の川は生前の行いによって船でも橋でも歩いても渡れるそうです。流れの激しいところや穏やかな流れの所もあるそうで、出来るだけ渡りやすいようにみんなで供養して応援するということのようです。
会館の方には何から何まで段取りをつけて頂き、滞りなく葬儀は終了しました。
初七日が終わってから家に帰り、遺骨、遺影、白木の位牌を中心とした祭壇を座敷に設けて49日まで祭っておくこととなります。
49日
49日は閻魔大王の裁きによってあの世への行き先が決まる日で、「満中陰」ともいわれます。
故人が成仏して極楽浄土に往生できるように法要を営みます。
49日の法要は葬儀から3か月をまたがないということで、35日で行うこともあります。
葬儀の時、お寺さんが白木の位牌に戒名を書いているのですが、この49日の時に黒漆塗りの本位牌に母の戒名の隣に父の戒名を書き加えて魂を入れて頂きました。
座敷での法要が終わると、近くにある先祖の遺骨が納められているお墓に納骨しました。
同時に卒塔婆にも書入れをしていただいて、お墓に添えました。
1周忌(向かわれ)
命日から1年経つと1周忌ということになりますが、私の地域では「向かわれ」と言っています。
座敷に位牌を中心にした祭壇をこしらえ、お坊さんに読経してもらいました。
その後、お墓に行ってお参りをします。この時も新しい卒塔婆に書入れをして頂き、お墓に添えました。やがて卒塔婆はお寺でお焚き上げして頂くことになります。
こうして無事に一周忌(向かわれ)も終わり、父の供養も一段落つきました。
来年には3回忌があるのですが、1日1日と経つうちに父は遠い過去の思い出になっている気がします。