縁起
定福寺は724年、高知県にある五台山竹林寺、佐古の大日寺、平田の延光寺、西豊永の豊楽寺と共に行基によって開山されたとされています。
多くの伽藍が並び立ち壮麗を極めていたようですが、火災によって幾たびも焼失してしまったようです。しかしそのたびに地域の方々をはじめとする支援を受けてきました。
特に明治初期の神仏分離令によって高知では真言寺院は230カ寺が廃寺となり、わずかに真言宗の16カ寺が残ったということです。
この時も地元とのつながりと信仰によって定福寺は存続することが出来ました。
本尊
本尊は阿弥陀如来像であり、他に薬師如来像、地蔵菩薩像があります。
いずれも仁平年間(1151~1153年)に造立されました。
土佐豊永万葉植物園
万葉植物園というのは、古くは昭和7年に昭和天皇からの御下賜資金によって春日大社が開園しています。約3ヘクタールという広大な植物園です。
他にも植物園は日本全国にあり、万葉の昔の植物が大切に育てられています。
定福寺の境内には日本で7番目に設立されたとされる万葉植物園があります。万葉集にゆかりのある約150種類の植物を集めて保存し育てているということです。
それぞれの植物の近くに関係する歌碑が建てられています。
この他にも「山野草の里」で70~80種の町内外の植物が保全されています。
一年を通して「和」の植物を楽しめる場所です。
万葉の歌碑
「まつ」 有間皇子
磐代(いわしろ)の浜松が枝(え)を引き結び
真幸(まさき)くあらば還り見む
「かきつばた」 大伴家持
杜若(かきつばた)衣(きぬ)に摺りつけ丈夫(ますらお)の
きそい狩りする月は来けり
大賀蓮
境内には、毎年夏の早朝に大輪の花を咲かせて多くの人々を楽しませている蓮があります。「大賀蓮」と言います。
1951(昭和26)年の大賀一郎博士が千葉県検見川の泥炭層から3粒の蓮の実を発掘しました。
ハスの実は2000年以上前のものと推定されています。
3粒のうち1粒が博士の手によって発芽育成され、ピンク色をした大輪の花を咲かせることに成功したのです。
泥の中に埋まっていた実が再生して、見事な大輪の花を咲かせるというロマンあふれる「大賀蓮」の物語だと思います。この蓮の花は「千葉市の花」となっているそうです。
「大賀蓮」は成田国際空港や吉野ヶ里歴史公園(佐賀県)、荒神谷史跡公園(出雲市)など全国各地に移植されています。
定福寺の「大賀蓮」もそのうちの一つです。
おわりに
山里にひっそりとたたずんでいる歴史ある寺院ですが、観光客やお遍路さんが絶えないという有名なお寺であるとは思われません。しかし地元の方々の信仰が厚く、またつながりが深いことを窺うことのできるお寺であると思いました。
だからこそ万葉植物園や「大賀蓮」の手入れが行き届き、季節に応じた美しい花を見ることが出来るのではないでしょうか。
昨今の少子化による人口減少の中で、山深い里にある寺社がいつまでも大切に守られていくことを願わずにはいられませんでした。