定年後の生活ブログ

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鳴門市賀川豊彦記念館

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大宅壮一と賀川豊彦

ジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家の大宅壮一は、旧制茨城中学(大阪)の時に賀川豊彦の講演を聞いて影響を受けました。

大宅は、明治以降に最も大きな影響を与えた人物ベスト10に必ず賀川豊彦は入ると書き記しています。大衆の政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動といったおよそ運動と名の付くものは、賀川豊彦が源になっているといっても過言ではないとしています。

賀川豊彦とは

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賀川豊彦は友愛・互助・平和のために生涯を捧げた人物です。1888(明治21)年、神戸に生まれますが、両親を亡くしたため父の本家である徳島の賀川家に引き取られ4歳から16歳まで過ごしています。徳島中学時代、英語を教えてもらっていたキリスト教宣教師の影響を受けて洗礼を受けました。

明治学院高等部神学科を経て神戸神学校に移りますが、結核を患い死の淵をさまようことになります。

死線をさまよう中で、貧しい人々の救済事業に携わることを決意し神戸のスラムに住み込み活動しています。

1914(大正3)年、スラムでの活動に限界を感じた賀川は、アメリカのプリンストン神学校・大学に留学します。

1917(大正6)年、帰国した賀川は「救貧から防貧へ」をスローガンとしてさまざまな社会運動の先頭にたって活躍します。

1918(大正7)年の関東大震災の時にはいちはやく救援活動に駆け付けました。ボランティアの先駆けとしての活動です。

戦後、戦争のない世界の平和を求めて世界連邦国家建設運動をはじめとして平和運動を展開した功績により、ノーベル平和賞候補に4度推薦されました。

鳴門市賀川豊彦記念館

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記念館は、船本家牧舎(旧富田畜産部牧舎)をモデルとしています。

船本家牧舎は、ドイツ兵捕虜が設計し地元の大工・左官・捕虜が協力して完成させたものです。養豚や酪農の指導が行われた場所で、のちには賀川豊彦が2階で農民福音学校を開きました。

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2階では、農民福音学校の教室の様子を再現しています。

賀川は立体農業を提唱し広めようとしました。これはコメ作りのみに頼らず、野菜や果物などを組み合わせて栽培し、さらには生産から販売まで一貫して農家自身が手掛けるというものです。

今で言えば、第1次から第3次産業までにすべてかかわるという、いわゆる6次産業化を実践するものです。

農民の生活を安定させるために、農業の近代化、自立化を進めるための先進的な取り組みを展開しようとした人物でした。

死線を超えて

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生涯をかけて社会的弱者のために「友愛、互助、平和」を説きながら、活動した賀川豊彦がスラム街における愛と献身を描いた物語です。

1920(大正9)年に出版され、上中下の3巻仕立てになっていて3巻合計で400万部が売れたそうです。大正時代の最大のベストセラーです。

「死線を越えて 賀川豊彦物語」と題して映画化もされています。

おわりに

賀川豊彦の生活協同組合運動は今日のコープこうべ、大学生協、農協共済などで実を結んでいます。生涯をかけて「友愛・互助・平和」の精神で弱者に寄り添った、彼の生き方に学ぶ点は多いと思いました。