はじめに
瀬戸大橋が開通するにあたっては、悲劇的な「紫雲丸事故」を忘れることは出来ません。
四方を海に囲まれている四国の人々にとっては、本州と四国を陸路で結ぶことは長年にわたる念願でした。
今では当たり前のように車で鉄道で行き来が出来ていますが、ここに至るまでに多くの犠牲があったことは忘れてはならないことだと思います。
瀬戸大橋記念館でも、この事故のことについて展示していました。
紫雲丸事故
小中学校の修学旅行生100名(うち81名が女子)を含む、乗客168名が犠牲になった重大な海難事故です。
1955(昭和30)年5月11日7:00ごろ高松市の女木島沖で事故が発生しました。
高松を出港した宇高連絡船の客船である「紫雲丸」の右舷に、岡山県の宇野港を出港した宇高連絡船の貨物船である「第3宇高丸」が衝突しました。原因は濃霧による操船ミスでした。
「紫雲丸」はわずか5分で沈没したため、船室にいた多くの女子生徒が犠牲となったようです。
この事故を契機として、四国と本州を結ぶ架橋運動が盛んになることとなりました。
連絡船
瀬戸大橋が出来るまでは、四国から本州へは船でした。私は大学も就職も四国内でしたので、連絡船はたまにしか利用していません。
学生の時に本州の友人が帰省するときに新幹線が混んでいたとか、連絡船で食べたうどんが美味しかったとか言っているのを聞くと、自分も四国外の大学に進学したらよかったと羨ましく思ったものです。
四国に住んでいる人は大なり小なり連絡船に何かしらの思いを抱いたいるのではないでしょうか。
「親切な青鬼くん」と「さかいでまろ」
たのしいご当地キャラクターが入り口で出迎えてくれました。


「親切な青鬼くん」
香川県が観光客を温かく迎える親切運動のマスコットです。青鬼が香川の「おせったいの心」を広げるために頑張っているようです。
「さかいでまろ」
坂出市民総選挙によって選出された初代公認キャラクターです。平安時代から「古のまちさかいで」にタイムスリップしてきました。特産品の坂出三金時(いも・にんじん・みかん)をもってアピールしています。
館内展示
瀬戸大橋が完成するまでのドラマと長大橋のすべてを精密な模型や映像、写真パネルなどで紹介しています。
上部が道路、下部が鉄道という構造も模型によって詳しく知ることが出来ます。
道の駅「瀬戸大橋記念公園」
瀬戸大橋記念館は道の駅にもなっていて、館内にショップも設けられていました。


東かがわ市にあるhacomo株式会社が発売している段ボール使用の工作キットが置いてありました。工作キットには恐竜とか昆虫、電車などのシリーズがあります。
お土産に段ボールの電車の工作キットを買って組み立ててみました。
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おわりに
とても立派な施設で瀬戸大橋の歴史や高度な技術がよく分かる展示です。
無料でここまでの詳しい内容を見ることが出来て、四国の人間として知っておかなければならないことを学ぶことが出来たと思いました。