崇徳天皇白峯陵(すとくてんのう しらみねのみささぎ)
四国八十八か所81番札所白峯寺の隣に、静かな森の中でひっそりと佇んでいます。
宮内庁の管轄している場所です。「竹木を切らない」「魚鳥をとらない」といった注意書きがありました。
玉砂利の道の先にある階段を上った所に陵があります。
保元の乱(1156)に敗れた崇徳上皇は讃岐に配流され、46歳で崩御されました。崇徳上皇は白峯山で荼毘に付せられ御陵が作られました。御陵は積み石の方墳であったといわれています。江戸時代の高松藩主により修復されて現在のように整備されました。
天皇の御陵で機内以外にあるのは、淳仁天皇の淡路陵、安徳天皇の下関阿弥陀寺陵とこの白峯陵の3陵のみです。
白峰寺十三重石塔
白峯寺の手前にひっそりと佇んでいます。
東塔と西塔がありいずれも鎌倉時代のものです。源頼朝が崇徳天皇の菩提のために建立したと伝えられており、重要文化財に指定されています。
81番札所白峯寺
縁起
弘法大師(空海)が白峯山に登り、人々の安寧を祈願したとされます。のち智証大師(円珍)が千手観音菩薩を刻み本尊として堂を創建したと伝えられています。
白峯寺への道中
瀬戸内海の多島美や瀬戸大橋を含む美しい景色を見ることが出来ます。
境内
案内図
七棟門
門の左右に二棟の塀を連ねていて、全部合わせて七棟あるので七棟門と言います。
招き猫のお迎え
七棟門に入ってすぐのところに灯籠があって、たくさんの招き猫が迎え入れてくれます。
客殿
高松藩主が寄進した客殿入り口の立派な門です。
頓証寺殿の門
七棟門を入って突き当りを左に折れると、正面に頓証寺殿の門が見えます。
正面に「頓證寺」の額がかかげられており、後小松天皇の御宸筆になるものです。
1415年に奉納されてから、この門を勅額門と呼ぶようになりました。本物は宝物殿に収められており、重要文化財に指定されています。
巨大なわらじが奉納されていました。


頓証寺殿
崇徳天皇の御廟所で、1680年に高松藩主により再建されました。恵比寿天も祀られていました。


玉章(たまずさ)の木
この木の葉を持っているとよい便りがあるとされています。
崇徳上皇はホトトギスの鳴き声にも都を偲びました。このためホトトギスはこの大木の葉を巻いて、くちばしを差し入れて鳴き声を忍んだと言われています。
巻いた葉は玉章(手紙のこと)に似ていたので、この葉を持っているとよい便りがあるとされ、特に若い男女に求められました。
古木は天寿を全うしており、新しい玉章の木が植えられています。
相模坊大権現
相模坊は相模の国の修験者で、のちに讃岐国白峯山に入山して大権現として祀られました。日本八天狗の一つです。
本堂・大師堂までの階段
うっそうとした木々の中を上がっていく階段が本堂・大師堂まで続いています。
本堂
重要文化財の本堂には、本尊の千手観音菩薩を祀っています。
大師堂
大師堂も重要文化財です。大黒天も祀られていました。


阿弥陀堂
本堂の左側に重要文化財の阿弥陀堂があります。ふっくらとした布袋さんも祀られています。


行者堂
阿弥陀堂の下に重要文化財の行者堂が位置しています。寿老人が祀られていました。


薬師堂
行者堂の下に重要文化財の薬師堂が位置しています。福禄寿が祀られていました。


最後に
歴史と文化が凝縮しているだけでなく、人々の厚い信仰を受け入れて心の拠り所となっている白峯寺でした。