萬翠荘(ばんすいそう)について
萬翠荘とは松山城の麓に1922(大正11)年、松山藩主の子孫である久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が別邸としたものです。
2011(平成23)年に萬翠荘本館と旧管理人舎が国重要文化財に指定されました。
もともと、ここは松山藩家老屋敷の跡地で、広大な敷地内には夏目漱石ゆかりの「愛松亭」「愚陀仏庵後」もあります。
入口
入り口には旧管理人舎があります。
門番の詰め所で宿泊も出来るように作られています。
マドンナが管理人舎の隣で出迎えてくれます。


建物の全景
旧管理舎から道を上っていくと豪華で立派な洋風の萬翠荘本館の建物が見えてきます。
建物は純フランス風で、地下1階地上3階建ての愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造りです。
ネオルネッサンスと呼ばれる様式で、左右非対称で構成されています。
当時の社交場で皇族も宿泊しました。
1922(大正11)年11月には裕仁親王(のちの昭和天皇)をお迎えしています。
玄関の人力車
玄関には皇族用の人力車が、観光客の撮影スポットとして展示されていました。
部屋の様子
各部屋には、照明を反射して部屋を明るく広く見せるためにベルギー製の大きな鏡が備え付けられています。
大理石のマントルピース(暖炉)は松山で初めてのガス暖房です。
ステンドグラス
2階に上がる階段には帆船が大海原を航海しているデザインの、大きくて美しいステンドグラスの窓がしつらえられています。
日本最古のステンドグラス工房である大阪の玲光社を設立した木内慎太郎の作です。
2階の貴賓室のドアを開けておくと、部屋の中からステンドグラスが真正面に見えます。


愚陀仏庵(ぐだぶつあん)
夏目漱石が英語教師として松山中学校に赴任した時、下宿していた上野家の離れ(松山市二番町)を萬翠荘本館の裏(松山市一番町)に復元しました。
1階には療養のため居候していた正岡子規、2階には夏目漱石が52日間、一緒に住み俳句作りに精を出しています。
愚陀仏庵は夏目漱石の俳号「愚陀仏」からとも言われています。
建物跡
建物は2010(平成22)年の豪雨によって全壊してしまい、現在は跡形もありません。
愛松亭
夏目漱石が松山にやって来た時、最初に下宿したのがこの場所にあった小料理屋で下した。
「小生宿所は眺望絶佳の別天地」と、とても気に入っていたようです。
オシャレなカフェ
現在は跡地が「漱石珈琲店 愛松亭」というおしゃれなカフェになっていて、優雅なコーヒータイムを過ごすことが出来ます。


最後に
萬翠荘はよく整備されていて、松山の歴史と伝統を体感できる場所です。
夏目漱石ゆかりのカフェでくつろぐことまで出来ます。
恋人同士のデートの場としてはピッタリだと思いました。
豪雨災害で失われた愚陀仏庵が早期に再建されることを願ってやみません。