定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

伊予松山ゆかりの「坂の上の雲」のミュージアム

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ

↑↑↑よろしければポチッとお願いします。

 

はじめに

「坂の上の雲ミュージアム」は2007(平成19)年に松山市まちづくりの中核施設として建設されました。

f:id:teinenoyaji:20200923171916j:plain

 

松山市には歴史的人物ゆかりの地や道後温泉のような施設が残されています。それらを有効に活用して結び付けることによって、更に魅力を高めることが出来ます。

街全体を「屋根のない博物館」とするフィールドミュージアム構想のもとで、回遊性のある物語のまちを市民と共に育てることを目標としているそうです。

 

作家「司馬遼太郎」

1923(大正12)年に大阪市生れです。大阪外語学校蒙古語科卒。

学徒出陣により戦車部隊に配属されますが、栃木県で終戦を迎えます。

1960(昭和35)年『梟の城』で直木賞を受賞して以来、歴史小説『竜馬がゆく』『国盗り物語』など多くの作品を発表しています。

『街道をゆく』の連載半ばにして1996(平成8)年、死去されました。

司馬遼太郎というペンネームの由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者」から来ているそうで、本名は福田 定一です。

 

歴史小説「坂の上の雲」

司馬遼太郎さんの代表作の一つです。松山出身の正岡子規、秋山好古・真之兄弟を中心にして近代国家をめざす明治の日本が描かれています。

f:id:teinenoyaji:20200923172222j:plain

 

正岡子規は、新聞記者になり俳句の革新に力を注ぎます。

秋山兄弟の兄の好古は陸軍の騎兵を育て、弟の真之は海軍における近代的な戦術を研究します。

それぞれが日露戦争期における激動の時代を駆け抜ける物語です。

歴史小説「坂の上の雲」の世界をミュージアムで再現展示しています。

 

ミュージアム設計者

建物の設計は有名な安藤忠雄氏です。三角形の建物をゆっくりとスロープで回遊しながら上っていくことが出来ます。

坂の上に向かっている感覚を得ながら、当時の歴史を学ぶことが出来るように工夫されていました。

 

館内の展示

「坂の上の雲」に登場する人物や明治の出来事について展示していました。

f:id:teinenoyaji:20200923172736j:plain
f:id:teinenoyaji:20200923172758j:plain
ロシア軍艦の模型とパネル展示

 

松山北高校出身のイラストレーター茂本ヒデアキさんによる秋山好古を描いた墨絵のイラストが展示されています。松山北高校は、戦前の私立北予中学校時代に秋山好古が校長を務めていました。

f:id:teinenoyaji:20200923173242j:plain

 

秋山兄弟生誕の地

ミュージアムから歩いて10分ぐらいの所に秋山兄弟生誕の地があります。

f:id:teinenoyaji:20200923173554j:plain

 

兄の秋山好古

陸軍士官学校卒業後にフランスで騎兵戦術を学びました。

日清・日露戦争に従軍し、退官後は故郷の松山で市立北予中学校の校長を務めています。

弟の秋山真之

親友の正岡子規に刺激を受けて上京し、海軍兵学校に入学します。

日露戦争での日本海海戦でバルチィック艦隊迎撃作戦を立案して勝利に貢献しました。

この時の電報「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、短い文章で的確に伝えた名文として評価されています。

 

最後に

司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いた3人の人物が松山出身であったことから、ミュージアムが設立されています。

秋山兄弟にスポットをあてて描いたことによって2人の兄弟は有名になりました。

司馬遼太郎によって見いだされて現在に至っていると思いますが、そのような人物を輩出した松山市は素晴らしい町であると感じました。