定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

77番札所「道隆寺」は眼なおし薬師様です

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「花手水」の写真を追加しました。

はじめに

77番札所の道隆寺は香川県の多度津にあり、眼なおしの薬師様としても全国的に有名なお寺です。

平地にあるお寺で、山岳のお寺とは違った雰囲気があります。

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「花めぐり」の花手水

古来より四国霊場の71番から77番までの札所7ヶ寺を1日で巡礼する『七ヶ所まいり』という参拝方法があります。

善通寺で生まれた空海ゆかりの地を巡礼した事が始まりだといわれており、江戸時代の案内記などでも勧められているそうです。

コロナの影響を受けているこの頃、7カ寺は参拝者の癒しになればということから「花ごよみ」と称して、手水舎をお花で飾るイベントを行っています。

花手水について詳しくは、こちらをご覧ください。↓↓↓ 

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道隆寺の花手水

2021(令和3年)4月

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2021(令和3年)5月

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2021(令和3年)年末(お正月バージョン)

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2022(令和4)年4月

2023(令和5年)、正月

2023(令和5年)、春4月

2023(令和5年)、秋11月

境内

境内案内図

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仁王門

四国有数の大きさを誇る仁王門です。立派な阿吽の仁王さんも鎮座していました。

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本堂

仁王門からまっすぐに参道を進むと、薬師如来を本尊とする本堂があります。

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日本百観音

仁王門を入ると、境内参道には観音霊場として有名な西国・坂東・秩父を始めとした観音様が安置されています。

日本百観音とは西国三十三か所、坂東三十三か所、秩父三十四か所をまとめた百の観音巡礼のことです。結願寺は秩父三十四か所の三十四番永潜寺となっています。

四国からは遠いので道隆寺でもお参りが出来るようにと観音様を安置したもののようですが、255体の観音さまが安置されています。

多くの観音様によって道中の安全を見守ってくださっています。

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大師堂

1630年に建立されており、本堂に向って右側にあります。

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大師堂の前には弘法大師立像と、その前でひざまづき両手をさしのべている衛門三郎の像がありました。

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 衛門三郎については、こちらをご覧ください。↓↓↓

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多宝塔

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寿老人

江戸時代に、足の不自由な人は71番札所の弥谷寺から77番札所の道隆寺までを巡礼すれば四国巡礼に準ずるとされました。

7つの寺には「七福神なで仏」がお祀りされていて、7カ寺を巡礼することで7つの福が授かることが出来ます。

道隆寺には「寿老人」が祀られていました。

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縁起

712年、この地に住んでいた和気道隆(わけのみちたか)が誤って乳母を射殺してしまいました。嘆き悲しんだ道隆は、桑の木で薬師如来を彫り供養しました。

807年、唐から帰朝した空海に子供の朝祐(ちょうゆう)が薬師如来を刻んでもらい、その中に父の薬師如来を納め、ご本尊としました。

このことから本尊の薬師如来様は二体薬師とも言われています。

50年ごとに御開帳される秘仏であり、次回は2033年だそうです。

空海より受戒を受けた朝祐は2代目の住職となって伽藍を建立し、父の名にちなんで寺の名を「道隆寺」としました。

空海の実弟の法光大師が3代目の住職、4代目の住職は智証大師(円珍)という高僧が後を継いで栄えました。

度重なる兵火に興亡を繰り返しますが、江戸時代には多くの末寺を擁して栄えていたとされます。 

開祖の道隆公と朝祐の御廟

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眼なおし薬師の由来

本堂の横にある潜徳院殿堂は、多度津藩初代藩主の京極高通の3男、左馬造公の御廟です。

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幼少より眼が不自由でしたが、道隆寺の薬師如来に祈願したところ全快したとされます。

眼が治ったことで医学の道に進み、眼科治療の達人と言われるようになりました。

死に際して「我が魂魄を道隆寺に留め世人を救わん」と誓願してこの堂に祀られました。

今でも全国から眼病平癒を願う多くの人々が祈願に来られています。  

日本全国百七十観音お砂ふみ

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おわりに

ここの所、老眼が進みメガネが手放せません。メガネのせいかどうかは分かりませんが、目が疲れやすくなってきていると、つくづく感じるこの頃です。

眼にご利益がある薬師如来様ということで、しっかりと眼についての御利益を祈願しました。

他にも「寿老人」や観音様に、これでもかというぐらい様々なお願いをしてきました。

お花も奇麗でしたが、お願いするばかりの参拝となってしまいました。