定年後の生活ブログ

定年後の徒然なる事を四国から発信

高知市立「龍馬の生まれたまち記念館」

 

はじめに

路面電車の上町一丁目駅に龍馬?が豪快に笑っているイラストげ描かれている看板がありました。

駅のすぐそばに坂本龍馬の生誕地を記念する石碑が立っているのですが、そのことについてちょっとギャグっているものです。

f:id:teinenoyaji:20201002183726j:plain

土佐弁で「生誕地ながやけど わりと地味ながよ 石碑があるだけで けんど ここで きたえちょいたら はりまや橋で ショックうけんで」とあります。

 

微笑ましく地元のことを笑い飛ばして楽しんでいます。

 

確かに龍馬生誕の石碑があるだけでしたが、それは立派なものです。龍馬に対する高知の人々の愛が感じられました。

f:id:teinenoyaji:20201002184013j:plain

龍馬生誕地石碑

 

ゆっくりと龍馬の生誕地を味わうことが出来るように、龍馬のベンチが設置されています。

f:id:teinenoyaji:20201002184255j:plain

  

坂本龍馬とは

誰もが坂本龍馬については知っており、明治維新における著名な人物の中では特に人々に愛されているキャラクターです。高知の人々にとっても特別な人物です。

1835年、龍馬は高知で生まれています。子供の頃は、近くの鏡川で泳いだり山でウサギを追いかけたりして遊んでいました。

14歳になり日根野道場で剣術の修行を始め、更に、19歳で江戸の北辰一刀流千葉道場に入門しています。江戸では剣術修行だけでなく、洋式砲術や世界情勢についても学んでいます。

28歳で脱藩し、勝海舟の弟子として神戸の海運塾の塾頭を務めました。

のちに長崎で亀山社中を結成して中岡慎太郎と共に薩長同盟の成立に尽力します。

脱藩した土佐藩の後藤象二郎と提携して海援隊を組織し、「船中八策」を発表して、これからの日本の方向性を説いています。

1867年、新しい日本を見ることなく33歳で暗殺されてしまいました。

 

その行動は型破りでスケールが大きく、司馬遼太郎は「維新の奇跡としか言いようがない」と述べたほどです。

中古本で「龍馬がゆく」を読んだときは、まるで自分が龍馬になって幕末の風雲の中で活躍しているような錯覚の陥ってしまいました。人々を引き付けて止まない魅力ある人物に描かれています。

 

 

龍馬の生まれたまち記念館

入り口で迫力満点の坂本龍馬像が出迎えてくれます。

f:id:teinenoyaji:20201002184513j:plain

 

 

チケットには優しい色で表現された坂本龍馬の子供の頃が描かれています。

f:id:teinenoyaji:20201002185019j:plain

 

 

中庭には龍馬の姉乙女さん、龍馬、亀山社中で共に活躍した近藤長次郎が並んだ像が設置されていました。

f:id:teinenoyaji:20201002185213j:plain

 

 

坂本家の本家である才谷家や高知城下を再現したミニチュ模型もありました。

f:id:teinenoyaji:20201002185503j:plain
f:id:teinenoyaji:20201002185527j:plain

 

 

龍馬に関する資料が展示されています。

f:id:teinenoyaji:20201002185703j:plain

 

 

おわりに

坂本龍馬は武士とはいえ庶民の中で生まれ育っています。それがまた龍馬の魅力を増しているのだと思います。そのような龍馬を育てた街に行ってみて、少し雰囲気を味わってきました。

街並みはすっかり変わっていますが、雰囲気というか空気感は当時と変わってないのではないでしょうか。少しだけ龍馬に近づけたような気がしました。