はじめに
徳川家康の松平家は浄土宗を信仰していました。
讃岐高松藩の初代藩主は水戸光圀(水戸黄門)の兄の松平賴重です。
当時、荒れ果てていた生福寺(まんのう町)を城下の南に復興し、菩提寺としました。
生福寺は讃岐に配流された浄土宗の祖である法然が滞在していたとされるお寺です。
現在、生福寺は西念寺となっています。詳しくはこちらをご覧ください。↓↓
法然寺の境内
高松藩の菩提寺である法然寺は広大な敷地に、立派な堂宇の伽藍を有しています。
二河白道
十王堂から黒門までの150mあまりの道を言います。彼岸(西方浄土)へと向かう二河白道を模した参道です。
見返り地蔵堂
参道を振り返って見る、見返り地蔵堂に地蔵尊が祀られています。
十王堂
十王堂は閻魔大王をはじめとする十王と三途の川で衣服をはぎ取る奪衣婆(だつえば)が祀られています。
黒門
全体に黒く塗られていたので「黒門」と言われており、ここから中が極楽浄土とされます。門をくぐると「広庭」が広がっていて、仁王門から山上への道、三仏堂への道、本堂への道となります。
仁王門から山上へ
仁王門と朱色が鮮やかな仁王像
参道
仁王門を入ると多くの寄進された灯籠が整然と参道の両側に並べられています。
五重塔
参道の右手には五重塔がそびえ立っています。
2011(平成23)年、法然上人没後800年を記念して、高さ800寸(24,24m)の塔が建立されました。
文殊楼
右手に五重塔を望みながら参道を進み、階段を上ると二尊堂の跡地があります。残念ながら2014(平成26)年に焼失してしまっています。
さらに階段を上ると文殊楼があります。上階に梵鐘を吊るし、文殊菩薩を祀ってあります。
文殊楼からの景色
来迎堂
阿弥陀如来と二十五菩薩像が祀られています。来迎の様子を彫像によって表現しているのはとても珍しいようです。
般若台
高松藩松平家の墓所です。墓塔は222基あり、これだけの規模のものは全国的にも数少ないようです。
本堂と三仏堂
拝観料を払うとパンフレットと法然寺特製の和三盆のお菓子をいただきました。
書院
書院の入り口・入り口の横に立派な松の木がありました。書院から入って、本堂・三仏堂の仏様を拝観することが出来ます。
本堂
かつて生福寺にあった法然上人の自作とされる阿弥陀如来像を本尊としています。「法然上人一刀三礼の秘仏」とも言われ、上人が一刀彫るたびに三度礼拝しながら作り上げたといわれています。
三仏堂
真ん中に阿弥陀如来像・左に釈迦如来像・右に弥勒菩薩像が安置されています。
その前に横たわっているお釈迦さまを中心に群像が配置されています。
讃岐の寝釈迦と称され、松平賴重の正室の菩提を弔うために作られました。
周囲にはお釈迦様の入滅を嘆き悲しむ十大弟子や動物の彫像が配置され、空を舞うのはお釈迦ざまの母である摩耶夫人です。
手打ちうどん「竜雲」
仁王門を出たところに手打ちうどん屋さんがあります。広い境内を一巡した後に食べるおうどんは、また格別です。
おわりに
広大な寺域と豪壮な伽藍を有する境内は、江戸時代における高松藩松平家の繁栄を今に伝えるものです。
初代藩主松平賴重が念願した五重塔もそびえ立ち、ますます充実したものとなっています。
浄土宗のお寺としては知恩院が有名ですが、この法然寺も見どころ満載のお寺です。