はじめに
「うだつが上がらない」というのは、出世できない、お金持ちになれない、という意味で使われます。
漢字で、うだつは「卯建」と書きます。
うだつは隣家の火災を防ぐために屋根の上につくる防火壁のようなものです。
うだつを作るためにはお金がかかるので、裕福な人でないと作ることが出来ません。うだつが立派な家は繁栄のシンボルでした。
「うだつが上がる」と出世が出来て、成功したということになります。
徳島県脇町
徳島県脇町に道の駅「藍ランドうだつ」があります。
脇町は、吉野川の北岸にある撫養街道と高松への讃岐街道が交差している交通の要衝です。
さらに吉野川に面しているので舟運の利用にも適した場所です。
1585年、蜂須賀家が阿波国に封ぜられると、家老の稲田植元(たねもと)が脇城の城下町として発展させていきます。
江戸時代には舟運を利用した藍の集散地として発展します。
明治以降は生糸生産の中心地としても多くの商家が軒を連ねました。
うだつの町並み
脇町では、江戸時代の後半に大きな火事があり、それ以来、うだつを設けるところが増えたようです。
現在は明治時代頃のものを中心として多くの伝統的建造物が建ち並んでおり、近世・近代の景観がそのまま残されています。
町家の両端には本瓦葺きで漆喰塗りの「うだつ」が多くみられ、「うだつの町並み」と呼ばれています。
昭和63年に全国で28か所目の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれました。
藍商「吉田家」住宅
「うだつの町並み」の中心に藍商「吉田家」の住宅があります。
吉田直兵衛が1792年に創業した藍商の館です。
幕末から明治にかけて大いに繁盛していました。
かなりの豪商で脇町の中では最も広い敷地を有し、何棟もの家屋が連なっています。
すぐ裏の木戸をくぐると、かつての船着き場です。
吉野川の水運を利用するには抜群の環境でした。
船着き場
今は船着き場公園として整備され、石垣の上は道の駅の建物になっています。
帳場
玄関を入ってすぐが帳場で、昔ながらの風情を再現しています。
王位戦の間
座敷では2005年9月に第46期王位戦第5局が行われ、133手で佐藤棋聖が羽生王位に勝利している模様が再現されています。
中庭
枯山水のこじんまりした中庭が整えられていました。
箱階段
2階からの景色
向こう側に吉野川が流れています。
藍を使った蚊帳や着物
オデオン座
昭和レトロな外観の芝居小屋が保存され活用されています。
1933(昭和8)年に回り舞台、奈落などを備えた本格的な芝居小屋として建設されたものです。
取り壊される予定でしたが、町指定文化財として修復され一般公開されています。
イタリアンカフェでランチ
古い町並みの町家にオシャレでモダンなイタリアンカフェがありました。
ランチはラム肉のパスタです。コクのあるソースのパスタがとても美味しかったです。
お土産
売店では「藍の飴ちゃん」柚子味を買いました。藍が練り込んであり柚子の味がきいた飴でした。
おわりに
かつての脇町の繁栄を今に伝える町並みが良く残っている「うだつの町並み」です。
古いものを残すには地域の人々の理解と協力がなければ出来ないことです。
脇町の人たちの大きな努力によって、私たちに昔の町並みを見せてくれていると思いました。
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