雷で被災した神社の修復開始
令和4年に、国宝の神谷神社が落雷で燃えてしまいましたが、令和5年9月、このほど修復工事が開始されました。
令和7年9月に完了予定です。
修理にかかる予算は1億5千万円ということでした。
神谷神社とは
香川県坂出市にある白峯山の麓、農村地帯にある住宅街を抜けたところに、「神谷神社(かんだにじんじゃ)」という小さな神社があります。
神社の本殿は神社建築としては四国で唯一、国宝に指定されているものです。
令和4年9月27日(火)午後に、本殿の檜皮葺の屋根3分の1と建物の一部が焼けてしまいました。
鎌倉時代の創建以来、800年以上、火災はなかったようですが、落雷によって燃えてしまったようです。
国宝の本殿が燃えた
火事のニュースがあった2日後に神谷神社を訪れました。
地元の方が後片付けをなさっており、話を伺いました。
「雷によって屋根の檜皮に火種が残って、消火に手間取ってしまいました。しかし、屋根より下の建物部分は大部分が燃えていないので、それだけが不幸中の幸いでした。ただし、多量の放水によって木材が水浸しになったので、しっかりと乾かさないといけません。木材への影響が心配です。再興するには、2年以上かかるでしょう。」
ということでした。
正面から見ると屋根の部分だけ少し被害があったように見えてしまいますが、横・後ろから見るとその被害が甚大であったことが分かります。
正面
横から
後ろ
燃え残った木材
香川県の国宝
香川県にある建築物で国宝に指定されているのは、神谷神社の本殿と本山寺本堂の2件だけです。
神谷神社本殿は、こじんまりとした建物なのですが、古い歴史を感じさせる雰囲気を漂わせています。
国宝の本山寺本堂について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
参道
古より「神谷(かんだに)」と言われていた渓谷を流れる神谷川のほとりに神社はあります。
「神谷」というのは、かつて谷で神々が集まって遊んだといわれることに由来しているようです。
神社名を刻んだ石碑がある脇を流れる神谷川をさかのぼって行くと、鳥居が見えてきます。
残念石
参道の途中に切傷のついたような石があります。
戦国時代に土佐の長宗我部軍が攻めてきた時、熊蜂の群れに邪魔されて神社に近づけませんでした。
それで、代わりに石を切りつけていったため「残念石」と呼ばれています。
国宝神谷神社本殿
朱色が鮮やかな社殿の後ろに、本殿が古式ゆかしく鎮座しています。
流造の社殿の中では最古のものとして、1955(昭和30)年に国宝に指定されました。
流造というのは前面の屋根が反り返って前に長く伸びて庇となったものです。
有名なところでは上賀茂神社や下鴨神社が代表のようです。
大正時代に本殿の修理が行われた際に、1219(建保7)年に本殿を再建したという棟札が見つかります。
これによって神社が鎌倉時代初期の建造であり、流造の構造物としては最古のものであることが判明しました。
1927(昭和2)年に火事が発生したとき、住民が焼け落ちる拝殿を本殿の反対側に引き倒したため、本殿は焼失を免れました。
地元住民によって本殿は守られたのです。
現在の拝殿は1930(昭和5)年に再建されたものです。
縁起
社伝によると、812年に空海の叔父にあたる阿刀大足(あとのおおたり)が造営し春日四神を勧請たとされています。
祭神は火結命(ほむすびのみこと)奥津彦命 (おくつひこのみこと)奥津姫命 (おくつひめのみこと)です。
影向石(えいこういし)
神社から少し上った所に、大きな岩が祀られています。
神谷川の淵から突然、自然居士という徳のある人が現れて、天地の神を祀ったとされる岩です。
神谷神社の大元とも言われています。
おわりに
800年前に建造された建物が今に伝わっています。
長い年月の中では、様々な天変地異があったと思いますが、そのような災厄を潜り抜けて現在に至っているのです。
ひとえに地元の方々の神社を大切に思う気持ちが、連綿と続いていたからだと思いました。
素晴らしい歴史ある建物が、残念ながら、今回の落雷によって大きな被害を受けてしまいました。
なんとか、建物が再建され、以前のような姿を取り戻し、後世に伝えていって欲しいものです。
火災にあった本殿
追記:四国にある国宝の建築物