はじめに
イチョウの大木が2本、ちょうど色づいている紅葉の時期にお参りすることが出来ました。
鮮やかに黄色となったイチョウの木に目を奪われながら、境内に入っていきます。
東京にも吉祥寺という地名がありますが、そこは文京区にある曹洞宗吉祥寺の門前にいた人たちが開発して移住したことに由来する地名のようです。
境内
山門
山門の前には、石の象が置かれていました。
「巡りゆく思い」
菅利光さんの四国・石鎚山・吉祥寺をかたどったモニュメントがあります。
本堂
本尊の毘沙聞天像は60年に一度だけ開帳する秘仏で、次回は西暦2038年ということです。
四国霊場で、本尊が毘沙聞天なのは当寺だけのようです。
ちなみに、吉祥寺では「毘沙聞天」と表記する際に「聞」の字を使っています。
多くは「門」の字で「毘沙門天」なのですが「よく聞く者」の意味として「聞」の字を使っているようです。
大師堂
くぐり吉祥天女
お迎え大師様と並んで建立されています。
吉祥天女像の下をくぐると、貧困を免れて金銀財宝を授かることが出来るといわれています。
金運アップのご利益を求めて、さっそく、くぐらせてもらいました。
成就石
直径30cmほどの穴が開いている石に向かって本堂から目を閉じて歩いて行き、金剛杖を突き通すと願いが叶うといわれています。
福聚閣
七福神のうち吉祥寺の本尊である毘沙聞天を除いた六神を祀っています。
縁起
弘法大師がこの地を来訪した折に光を放つ檜を見つけ、この霊木で本尊の毘沙聞天像を彫って安置しました。
同時に吉祥天像と善膩師(ぜんにし)童子像も彫り、堂宇を建立したのが始まりとされています。
善膩師童子は毘沙門天の息子の一人で、母は吉祥天とされています。
現在の場所とは違うところにあったお寺は、21坊もある大寺院であったといわれています。
1585年の豊臣秀吉による四国攻めで小早川隆景の軍勢の兵火によって焼失してしまいました。
1659年、江戸時代に末寺の檜木寺(かいぼくでら)と合併して現在地に再建されたようです。
寺宝
非公開となっている「マリア観音像」(純白の高麗焼、高さ30cm)があるようです。
土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、長宗我部元親に贈ったもので、吉祥天のように美しい観音像として伝えられたため、今に至っているということでした。
おわりに
よく聞いてくれるという毘沙聞天さまに、たくさん聞いてもらってきました。
聞いていただくだけで、何か心がすっきりしたような気持になります。
何かあったら、また出かけて行って聞いていただきたいご本尊様でした。