定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

三菱をつくった岩崎弥太郎の生家は高知県安芸市

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半年ぶりに、岩崎弥太郎の生家を再訪しました。銅像の隣は、きれいなお花畑になっていました。

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はじめに

高知県安芸市に、三菱グループの基礎を築いた岩崎弥太郎の生まれた家があります。

南側にはビニールハウスが林立しており、施設園芸の盛んな農村地帯ですが、すぐ裏には妙見山という山が迫っています。

薪をエネルギーとしていた時代には、薪を調達しやすい山が近くにあり、目の前は田んぼが広がるという農業に適した土地です。

生家は、今でもきちんと整備されていて、多くの人々が明治維新期の経済界で活躍した人物を慕って訪れているようです。

岩崎弥太郎の生家

駐車場の一角に、左手を大きく広げて遠くを見つめながら屹立している、堂々たる風貌の岩崎弥太郎の像が立っています。

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駐車場の岩崎像と隣の生家

弥太郎は江戸時代の末期、1834年に中農の屋敷で生まれました。

屋敷には巨大な大木があります。この木を見ながら育ったのでしょうか。

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内部

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母屋の裏にある蔵

生家の小庭には、弥太郎が自ら置いたとされる、日本列島を形どった石が並べられています。

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岩崎弥太郎と三菱

1854年、天下に名を轟かせなければ故郷に帰って妙見山には登らない、と決意をして江戸に向かったとされています。

弥太郎が商業と向き合うようになってきたのは、1867年、長崎で欧米商人と取引をしていたころからです。

明治になってから海運による商業活動に取り組み、政府と深い結びつきを持つ政商として大きくなっていきます。

1871(明治4)年、大阪にあった土佐藩邸を本拠としたので、ここが三菱発祥の地となっています。

1873(明治6)年には本店を東京に移し、土佐藩主山内家の三つ葉柏を元にして三菱のマーク「スリーダイヤ」が作られました。

台湾出兵や西南戦争など、明治政府に協力したことで莫大な利益を得ていました。

明治14年の政変で大隈重信が失脚すると、強力な後ろ盾を失ってしまい、反三菱勢力が設立した共同運輸会社とのし烈な競争になります。

1885(明治18)年、弥太郎が死去した後、両社は合併して日本郵船となります。日本郵船は三菱の源流ともいわれています。

弥太郎の生家母屋の隣には、三菱の関係者によって「岩崎弥太郎生誕之地」と刻まれた石碑が建てられています。

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安芸観光情報センター(追加記事)

安芸市の観光案内をしている拠点施設にも、「弥太郎こころざし社中」と銘打って、岩崎弥太郎の詳しい資料が展示されていました。

安芸観光情報センターは、2020(令和2)年3月にオープンしたばかりです。

ここから北北西に3kmほどの所に、岩崎弥太郎の生家があります。

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岩崎弥太郎の生涯を、年表で紹介しています。

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 岩崎弥太郎に関係するパネル展

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大河ドラマ「龍馬伝」で使われた岩崎弥太郎の生家の再現セットです。

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安芸市立歴史民俗資料館

土佐藩家老を務めた五藤家の居城であった安城に、1985(昭和60)年に開館しました。

五藤家の寄贈による歴史文書・美術工芸品・武具などが保存・展示されています。

安芸出身で三菱の基礎をつくった岩崎弥太郎、童謡作曲家の弘田龍太郎、反骨のジャーナリスト黒岩涙香などの人物紹介がされています。

安芸市内から出土した考古資料や古文書、民具の展示もあります。

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岩崎弥太郎のコーナー

昭和30~40年代の暮らしで使用されていたものを展示していました。 

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安芸市立書道美術館

全国的にも珍しい公立書道美術館として1982(昭和57)年に開館しました。

歴史民俗資料館のすぐ隣にあります。

安芸市出身の書道家の尽力によって、全国の書家から寄贈されたさまざまな作品を展示しています。

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おわりに

土佐の農村から大志をいだいて出て行き、明治維新の激動の時代に活躍した岩崎弥太郎を育んだ土地は農業の盛んな地域でした。

弥太郎の生家だけでなく、安芸観光情報センターにも詳しい資料が展示されており、郷土の偉人として顕彰しています。

また資料館や書道館を見学してみて、岩崎弥太郎を地域の人々も誇りとしながら、文化・芸術面をも大切にしている所でもあると思いました。