はじめに
愛媛県では松山市の東部にある大宝寺本堂と太山寺本堂の2つが国宝の建造物とされています。
大宝寺はJR松山駅から西に1kmほどの所にある比較的新しい住宅が立ち並んでいる
地域にあります。
南側の少し小高い丘の中腹に位置していて、坂を上りきったところです。
歴史のあるお寺は、松山の変遷を見続けながらひっそりと存在しているかのようでした。
境内
山門
歩く場合は、ここから上がっていきます。
「浩宮徳仁親王殿下御成り記念」の石柱(昭和57年)
本堂
阿弥陀堂形式を用いて鎌倉時代前期に建築されたといわれており、愛媛県で最も古い和様の建築物です。
本堂内部に安置されている厨子と、1685年と記されている修理棟札が一緒に国宝とされています。
本尊は阿弥陀如来さまです。
乳母桜像
赤ちゃんを抱いている乳母の姿と桜が表現されていて、うば桜伝説にもとづく像です。
うば桜伝説
角木長者伝説ともいわれています。
昔、この地にいた豪族の角木長者が、薬師如来さまに祈願したところ娘が生まれました。
生まれた娘に「露」と名付け、乳母として「お袖」を雇い大切に育てました。
ところが、お袖の乳が急にでなくなり、再び薬師如来さまに祈ると乳が出るようになりました。
そこで、長者はお礼にお堂を建立したのが大宝寺の始まりといわれています。
露が15歳になった時、病にかかった露を助けるために、お袖は自分の命と引き替えにしても助けて欲しいと薬師如来さまに祈りました。
すると露の病気が回復し元気になったのですが、その祝いの席で、お袖は病に倒れてしまいます。
薬師如来さまとの約束だとして、お袖は治療を拒み「薬師如来さまへのお礼に桜の木を植えて下さい。」と言い残して亡くなってしまいました。
長者はお袖の言葉どおり、本堂の前に桜の木を植えました。
桜の幹から2~3輪の花が咲きましたが、その花は乳母の乳房のようであり、色は母乳のようであったといわれています。
この話は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」に納められていて、英語にも訳されているようです。
大師堂並びに休憩所
本堂の隣にあります。
夢殿
5台ほどのスペースがある駐車場の所に、新しい建物「夢殿」が建立されていました。
夫婦像
仲睦まじい夫婦の石像がありました。
縁起
寺伝によると701年、地元の豪族である小千(越智)氏が創建し、お寺の名称は当時の年号である「大宝」に由来するとされています。
江戸時代には歴代松山藩主の祈願所として庇護されています。
おわりに
静かな山の中腹にひっそりと佇んでいるお寺で、歴史のある古刹です。
静かな環境の中で鎌倉時代以来、守り続けられた本堂は、見るからに古を感じさせてくれるものでした。