定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

伊丹十三記念館

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はじめに

伊丹十三監督の「マルサの女」を、その独特な音楽と共にワクワクしながら見た記憶があります。

他にも多様な視点で話題作をたくさん世に送り出した人物であることぐらいしか知りませんでした。

1997(平成9)年に64歳で亡くなりましたが、2007(平成19)年には松山に伊丹十三の事績を知ることのできる記念館が開館されています。

 

伊丹十三記念館

父である伊丹万作の出身地であり、高校時代を過ごした松山の地に開館しました。

用地は伊丹十三と縁の深い、松山を本社とする菓子メーカーの「一六本舗」が提供し、

費用は妻である宮本信子が拠出しています。

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シックな外観と入り口

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展示室

「やあ、いらっしゃい」と笑顔の写真で出迎えてくれます。

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伊丹十三の歩みから、多彩な才能でもって生み出してきた作品群が映像や実物でもって

展示されています。

音楽、乗り物、料理といった多様な趣味人としての見識をうかがわせる展示もあります。

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展示室を抜けた所にカフェがあり、そこには伊丹十三のイラストによる山崎努さんとか

宮本信子さんといった何人かの人物画が展示されていました。

とても上手にうまく描けていることに感心しました。

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記念館は中庭のある回廊形式となっています。

天気の良い昼下がりに、中庭の草の上で、本を読んでいる伊丹十三をイメージして設計

されているようです。

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記念館の外には、十三の愛車であるベントレーがガレージで展示されていました。

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伊丹十三の生涯

人物

伊丹十三は映画監督の伊丹万作の長男として京都で生まれています。

本名は池内義弘です。

松山との縁は父親が亡くなったことで京都府立山城高等学校に入学していたのですが、

愛媛県立松山東高校に転入しています。

この時、作家の大江健三郎と親交を結んでいます。

ちなみに伊丹十三の妹が大江の妻になりました。

松山東高校を休学した後に愛媛県立松山南高等学校2年次に転入し、20歳で同校を卒

業します。

卒業後に上京して新東宝編集部に就職しています。

 

マルチタレント

1960(昭和35)年、26歳の時に大映に入社し、父伊丹万作と阪急の創業者であ

る小林一三の名から「伊丹 一三」という芸名で活動します。

1967(昭和42)年に女優の宮本信子と再婚し、マイナスをプラスに変えるとして

「伊丹十三」に改名しました。

1970年代には、ドキュメンタリー制作に係わったり、俳優として活躍しています。

 

映画監督

1984(昭和59)年、51歳の時に『お葬式』で映画監督としてデビューしていま

す。

山崎勉、大滝秀治、笠智衆、津川雅彦などそうそうとした名俳優が出演しています。

縁起でもない題材で誰も期待しなかったようですが、驚異的な大ヒットとなりました。

以来、『タンポポ』『マルサの女』『ミンボーの女』『あげまん』といった話題作を制

作し、日本を代表する映画監督となります。

 

突然の死

1997(平成9)年、東京のマンションで飛び降りたとみられる遺体となって発見さ

れています。

死の原因についてはさまざまな憶測が飛び交っており、はっきりしていないようです。

 

おわりに

松山で高校時代を過ごしただけの伊丹十三ですが、その青春時代の地に記念館が創られ

たことは、亡くなってからのこととはいえ四国松山に対する愛着を感じずにはいられま

せん。

いつまでも、この地に存在し、多くの人々に愛される記念館であってほしいと思います。