定年後の生活ブログ

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シーボルトの娘がいた愛媛県西予市「宇和先哲記念館と卯之町の町並み」

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はじめに

かつて、シーボルトの娘がいた卯之町は、江戸時代から宇和島藩の在郷町として栄えていました。

このため古い町並みが残る歴史的景観が、重要伝統的建造物群保存地区となっています。

歴史と文化の豊かさを感じさせてくれる宇和先哲記念館と町並みを訪問しました。

宇和先哲記念館

入口

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「先哲(せんてつ)」というのは、歴史的な偉人、賢人のことです。

宇和町にゆかりのある先哲が、数多く年表に記されていました。

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記念館には、この地にゆかりのある先哲の資料が数多く展示されていました。

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二宮敬作

江戸末期に八幡浜市で生まれた二宮敬作は、15歳で医師を志し、長崎にあるシーボルトの私塾「鳴滝塾」で西洋医学を学びました。

ところが、シーボルトが帰国する際に、国禁であった伊能忠敬の日本地図を持ち帰ろうとしたことが発覚したため、門下生の二宮敬作も処罰を受けてしまいました。

長崎を追われた二宮敬作が帰郷した後、宇和島藩主の命により卯之町で開業しました。

高名な蘭方医であった二宮敬作を慕って、シーボルトの娘であった楠本イネや高野長英が来ています。

二宮敬作の弟子の家に伝わる医療器具

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楠本イネ(シーボルトの娘)

ドイツ人医師のシーボルトとお滝の間に生まれたことから、髪は茶色で目は青かったようです。

幕末に、卯之町で開業していたシーボルト門下生の二宮敬作から医学の基礎を学んでいます。その後、石井宗謙から産科を、村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を教わりました。

オランダおイネの名でも知られており、日本初の女性産科医といわれています。

数奇な運命をたどったおイネさんですが、1903年、77歳で生涯を閉じました。

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卯之町町並み

宇和島街道の宿場町、明石寺の門前町といった性格を有する在郷町として栄えた卯之町には、伝統的な建築物が残されており、歴史ある美しい町並みが保存されています。

末光家住宅

1770年に建てられており、卯之町を代表する伝統的な町家です。かつては酒造業、醤油製造・販売を営んでいました。

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旅館「松屋」

江戸時代創業の旅館です。前島密、新渡戸稲造らが宿泊しており、また、犬養毅、浜口雄幸、若槻礼次郎といった政治家たちも立ち寄ったようです。

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おわりに

歴史ある建物が点在する静かな町並みが印象的な卯之町でした。歴史の表舞台ではありませんが、志のある人物がこの地で活躍していることを知り、感慨深いものがありました。

このような歴史と伝統を、きちんと保存し大切にしている西予市の姿勢は素晴らしいと思います。

追記:お雛様

豪華な御殿付きのお雛様が飾られていました。

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