定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

善通寺市にある旧陸軍第11師団司令部跡の「乃木館」

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はじめに

香川県善通寺市には、四国における防衛警備及び災害派遣等を担任している陸上自衛隊第14旅団駐屯地があります。

その歴史は古く、1898(明治31)年に旧陸軍第11師団として創設されて以来の駐屯地で、初代の師団長は乃木希典(まれすけ)将軍でした。

師団が編成されたときに建てられた師団司令部は、現在、初代師団長の乃木将軍を記念する「乃木館」となっています。

「乃木館」

記念碑

入口の隣に「旧陸軍11師団司令部跡」の石碑が建てられています。

カイヅカイブキ並木

入口から「乃木館」まではカイヅカイブキの並木道になっています。

日露戦争の戦勝を記念して地元の有志が植樹したもののようです。

旧師団司令部庁舎

瓦葺、漆喰塗り壁という和の要素も取り入れた木造2階建ての西洋風建築です。

入口

1階は第14音楽隊が使用し、2階が「乃木館」となっています。

中央階段

師団長室

初代乃木師団長から第25代大野師団長までの師団長室です。

乃木将軍は明治31年から明治34年までの2年8か月の間、この部屋で執務しました。

現在は、乃木将軍にまつわる品々が展示されています。

乃木将軍とは

長州出身の陸軍軍人です。幕末から明治維新にかけて、西南戦争など新政府軍に従軍しています。

日清戦争後には台湾総督に就任しました。

日露戦争では困難を極めた旅順攻撃を指揮しましたが、この時に息子2人が戦死してしまっています。

晩年は明治天皇の意を受けて学習院の院長を務めましたが、明治天皇大喪の日に妻静子とともに殉死しています。

乃木将軍と金倉寺

善通寺の師団長として赴任した乃木将軍は金倉寺を宿舎としていました。

ある大晦日に、東京から乃木将軍の夫人が金倉寺まで面会に来ましたが会わずに追い返してしまいます。

途方にくれた夫人は松の木の前でたたずんでしまいますが、やがて帰っていきました。夫人がたたずんだ松は「妻返しの松」と呼ばれています。

金倉寺について詳しくは、こちらをご覧ください。↓↓↓

www.teinenoyaji.com

海軍の資料室     

日露戦争時の海軍に関する展示の部屋です。

日本海海戦でバルチック艦隊と戦った旗艦「三笠」の東郷平八郎元帥を中心にした様子を描いたものです。

絵の隣にはZ旗がありますが、海戦の際に「皇国の興廃 此の一戦に在り 各員一層奮励努力せよ」という意味を込めて掲げられたものです。

装備品の展示

敷地内広場には、使われなくなった戦車、航空機といった装備品が展示されています。

レンガ倉庫

明治時代に建てられた旧陸軍第11師団兵器庫として使用されていた赤レンガ倉庫です。

乃木館の斜め前にある、赤レンガ倉庫がある通りは「ゆうゆうロード」と名付けられ、市のシンボルである善通寺の五重塔を望むことができます。

おわりに

昔から雨が少なく水不足に悩まされてきた香川県ですが、善通寺の近くを流れる金倉川の湧水が豊富であったことから、明治時代に陸軍の師団が置かれたといわれています。

これまでの経過から、今でも自衛隊が駐屯地を置いて活動していますが、かつて使用されていた建物などは大切に保存されていました。

歴史を考える上での貴重な文化財として、これからも残しておいて欲しいと思います。