はじめに
土佐藩には上士と郷士という武士の身分がありました。
江戸時代、最上位の家格を有する上級藩士が上士(じょうし)とされました。それより身分が低い武士は下士とされていましたが、有名なのは土佐藩の坂本龍馬が下士である郷士の家出身であることです。
幕末の土佐藩では、龍馬をはじめとして郷士出身者が多く活躍しました。
高知市には、
①上士の家は「高知市大川筋武家屋敷資料館」
②郷士の家は「高知市旧関川家住宅民家資料館」
として残されており、誰でも見学することができます。
①高知市大川筋武家屋敷資料館
山内一豊に従って静岡県の掛川から土佐にやってきた、上士である手嶋家の住宅です。手嶋家は上士の中でも中ぐらいの武士だそうです。
南側にある立派な長屋門をくぐると、玄関前には巨大なソテツの木があります。
長屋門
玄関
時代劇にでてくるような玄関から家の中に入ると、床の間がある書院造りの座敷の他にもたくさんの部屋があり、大きなお屋敷であることを感じさせてくれます。
座敷
調度品
台所
資料館
母屋の裏には資料館があります。
資料館展示
②高知市旧関川家住宅民家資料館
郷士は在郷武士として下士の上位に位置していました。
旧領主である長宗我部家遺臣のうち、半農半兵であった一領具足の系譜を引く者や新田開発等の功によって取り立てられた者もいました。
関川家は織田信長の次男である信雄の家臣でしたが、やがて土佐の長宗我部氏に仕え、土佐藩主山内氏によって郷士とされました。
関川家住宅は分家筋のようですが、郷士には庄屋や農業を営む者が多く、その郷士・豪農の住宅として典型的な住宅です。
主屋
座敷
座敷から見た庭
囲炉裏のある居間
米倉・道具倉・みずや
江戸時代後期に建てられた主屋・表門をはじめ、明治~大正期に建てられた米倉・道具倉の4棟が国の重要文化財として1974(昭和49)年に指定されています。
おわりに
土佐藩の武士身分を代表する上士と郷士の邸宅が保存されています。
どちらも高知市の修理・保存活動があってこそ、歴史的遺構の姿を保っていられます。
高知市民の歴史に対する深い敬愛の思いを感じることができる資料館でした。
貴重な歴史資料をいつまでも後世に伝えていって欲しいと思いました。