はじめに
徳島県阿南市那賀川町は、阿波(平島)公方ゆかりの地です。
かつて、この地に阿波(平島)公方館があったことから、阿波公方・民俗資料館が建てられました。
阿波(平島)公方の館の模型
阿波公方とは
1534年、室町幕府の第10代将軍であった足利義稙の養子であった義冬が、阿南市那賀川町の平島庄に拠点を構え、住民から阿波公方とか平島公方と呼ばれるようになりました。
この義冬が初代の阿波公方で、義冬の子である義栄は第14代の室町幕府将軍になっています。
1805年に9代目の阿波(平島)公方である義根が阿波の国を退去して京都へ移るまでの間、平島館の主である阿波(平島)公方としてこの地に居住していました。
阿波公方の館がある平島には、高名な文人が出入りするなどしており、文化や学術の面でも大きな影響を与えています。
阿波公方の木造
中央が初代阿波公方の義冬です。
阿南市立阿波公方・民俗資料館
阿波公方ゆかりの平島館跡に1988(昭和63)年、資料館が建築されました。
阿波公方関係の資料や地域の民俗資料などが多く収蔵・展示されており、地域の小中学生の歴史教材として活用されています。
阿波公方・民俗資料館の外観
展示室
平島館の大いらか
民俗資料
小松島市の地蔵寺
本堂は平島館の遺構
江戸時代、阿波国を支配した蜂須賀家は阿波(平島)公方を軽視し、旧将軍家の権威を認めませんでした。
このため第9代公方の足利義根が阿波から退去すると、その遺構は阿波の各地に移築されました。
その建物の一部を移築したといわれるのが、地蔵寺の本堂です。
重厚で威厳のある建築様式として県の文化財に指定されています。
本堂
玄関
書院造りの座敷
縁起
弘法大師が開基したとされるお寺なのですが、あとを頼んでいた住職が居眠りをしていました。
このため、四国八十八カ所霊場からはずされたとされる「いねむり大師」の言い伝えがあるそうです。
江戸時代には藩主の蜂須賀家の厚い信仰を受けています。
宝寿水
古来より地下水の豊富な小松島で湧き出ている天然の銘水です。
おわりに
小松島市の中心に位置する地蔵寺にある本堂は、阿波公方の平島館にふさわしい重厚な造りの建物です。
現代でも阿波の人々が室町将軍ゆかりの文物を大切にしていることが窺われる資料館と建物遺構でした。
追記:小松島市にある源義経の巨大騎馬像
平家追討のために摂津の国から出港した源義経が、四国に最初に上陸したのが小松島市でした。
旗山の石碑
上陸した源義経一行が、旗山で軍議を行い、士気を高めたといわれています。
旗山は標高20mの小さな山で、ここに6,7mもある日本一の高さの源義経騎馬像があります。
登り口
木々をかき分けて上っていきます。
源義経騎馬像