はじめに
37番札所の岩本寺から38番札所の金剛福寺(こんごうふくじ)までは約90kmあり、四国霊場の札所の間では最長距離となっています。
歩けば3泊4日はかかるようです。
行けども行けども、たどり着かない距離なので、まさに「修行の道」です。
しかし、金剛福寺は穏やかなたたずまいであり、お遍路さんを優しく包み込むような雰囲気のお寺です。
境内
境内案内図
境内への入口
仁王門
仁王門の真ん中に掲げられている扁額(へんがく)は、嵯峨天皇の直筆で「補陀洛東門」と書かれた勅額だということです。
仁王像
朱色が鮮やかな仁王様です。
手洗鉢
丸に三つ葉柏の山内家の家紋がある立派な花崗岩製の手水鉢が、山内家から寄進されています。
大師亀と本堂・愛染堂
本尊は三面千手観音菩薩さまです。
本堂前の大師亀は、弘法大師が足摺岬の不動岩で修行をする際、呼び出した亀に乗って不動岩に渡ったとされているものです。
諸願成就の霊験ありということでした。
本堂裏の諸仏
本堂裏には、本堂を取り囲むように108体の諸仏が安置されていました。
多宝塔
多宝塔の前に立っているのは南北朝時代の九輪宝塔で、元の多宝塔の相輪だといわれています。
芭蕉句碑(左)と逆修塔(右)
芭蕉の句「けふはかり人もとしよれ初時雨」
和泉式部の逆修塔:逆修塔とは、死後の往生をねがって生前に建てた供養塔です。
大師堂
鐘楼
風格のある、楼門風の鐘楼堂です。
縁起
寺伝によると、嵯峨天皇から「補陀洛東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩様を刻んで開創したとされています。
足摺岬は観音浄土の入り口の東門にあたる所とされており、代々天皇家の勅願所となりました。
「補陀落」というのは、インド南端の海岸にあり、観音が住む浄土とされていた所です。
足摺岬から補陀落に向かって船出して、補陀落世界へ往生しようとする信仰があったようです。
平安時代には源氏によって厚く信仰され、源満仲による多宝塔建立、源頼光による堂塔修理がなされ、また、和泉式部が参詣して黒髪を納めたともいわれています。
室町時代には一条家の庇護を受けて栄えましたが、戦国時代には荒廃してしまいます。江戸時代に山内家によって再興されました。
本堂から見た境内
おわりに
金剛福寺のすぐ前は、足摺岬の絶景になっています。
八十八ヶ所を巡るお遍路さんたちも、この絶景を目の前にして自然への畏敬の念を改めて感じているのではないでしょうか。
まさに浄土への入り口であるかのように思えました。
金剛福寺のすぐ前が足摺岬
足摺岬について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
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