はじめに
愛媛県の南部には自然に満ちた一大レジャーゾーンの南レクが広がっています。
南予レクリエーション都市公園として、さまざまなレジャー施設が整備されており、「南レク」と呼ばれて、多くの観光客がやって来ている所です。
南レクには宇和島の「うわじまゾーン」と愛南町にある「あいなんゾーン」があります。
「あいなんゾーン」には、キャンプ場やスポーツ施設をはじめとして子どもたちが楽しめる動物園・ジャンボ滑り台といった施設が整備されています。
今回、訪れた紫電改展示館は「あいなんゾーン」の馬瀬山(ばせやま)公園にありました。
駐車場から見た紫電改展示館
紫電改展示館の入口
紫電改とは
大戦末期、ゼロ戦の後継機として1万機以上の大量生産が計画されましたが、工場空襲などのため400機あまりを生産したところで終戦を迎えています。
日本海軍の中では、最優秀の一つとされている戦闘機です。
海底から引き上げられた紫電改
1978(昭和53)年、愛南町久良湾の41mの海底で発見されました。
翌年、地上へと引き揚げられた機体はフジツボに覆われ、多くの破損があったものの、何とか原型はどとめていました。
プロペラが4枚とも内側に曲がっていることから、海面上に不時着したと考えられています。
紫電改を製作した新明和工業(株)(旧川西航空)により補修され、馬瀬山公園で保存されることになりました。
引き揚げられた紫電改は旧海軍343航空隊に所属していたもので、1945(昭和20)年7月24日に豊後水道上空で米軍機と交戦したうちの一機とされています。
機体からは遺骨も遺留品も見つからなかったため、誰が搭乗していたのかはわかってないそうです。
展示館の紫電改は日本に現存する唯一のものですが、アメリカには3機あります。
スミソニアン博物館、フロリダのネーバル・アビエイション・ミュージアム、オハイオの空軍博物館に現存していますが、このうちオハイオの空軍博物館の紫電改は、飛行可能な状態で保存されているそうです。
「空戦フラップ用管制器用マウント」「翼燃料タンク」「潤滑油タンク」
取り出されて展示されている部品です。
おわりに
本土防衛のための激しい戦いが、のどかな瀬戸内海上空で行われていたことを示す歴史的遺品です。
平和を願う地元の思いによって海底から引きあがられ、展示されているので、いつまでも大切に保存していって欲しいと思いました。