化粧新聞
屋根裏倉庫を片付けていると、お茶碗の包みとして箱の中から70年前の新聞が出てきました。
化粧新聞という、大阪にある美容科学研究会が毎月1回、発行していたもののようです。
もちろん新聞の色はあせてしまって黄色くなっており、しわしわで所々が破れています。
こんな新聞が出て来ることに驚きました。
日付は、1952(昭和27)年4月1日、私が生まれるより、もっと前の新聞です。
この年の4月は、日本にとって歴史的に重要な月でもあります。
4月28日はサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は主権を回復しました。
同時に、日米安全保障条約が締結された日でもあります。

記事によると、写真の着物を着ている可愛らしい女の子はハリウッドの子役ギギー・ペルーさんだそうです。
彼女をグ-グルで検索してみましたが出てこなかったので、あまり有名な方ではなかったのでしょうか。
後ろに立っているのは妹さんで、来年は着物を着てお姉さんと一緒に雛人形を飾るそうです。
着物は日本のファンから贈られたもので、説明書には白綸子のくす玉模様の振袖、帯は黒地西陣織の花づくし、長襦袢は匹田しぼり、半衿は緋縮緬の縫いとり…と記していました。
着物のことはよく分からないのですが、本格的で値段の高そうなもののようです。
なぜこのような田舎に、当時としてはハイカラな化粧新聞があったのかは謎ですが、興味深いものが出てきました。
70年前の、四国の田舎にこんなハイカラな新聞があったことにびっくりです。
1952年は私が生まれるもっと前です。
その頃の四国の田舎というと、かまどでご飯を炊き、五右衛門風呂で、トイレはぼっとん便所です。
洗濯はたらいと洗濯板でしていました。
黒い煙を吐きながら蒸気機関車が走っていて、たまにボンネットバスが走っているような時代でした。
もちろん今あるような家電はありません。
我が家は農家でしたが、牛で田を耕し、手で田植えや稲刈りをしていました。
トラクターやコンバインといった機械を使わずにコメ作りをするのは、とんでもない労力を要します。
今は、機械がなければとても米作りは出来ません。
現代の生活と違って厳しい生活をしていたのが、当時の四国の田舎の状況でした。
そんな生活の中でも、 美容に関係のある新聞が届いていたということです。
誰がどんな気持ちで、この新聞を読んでいたのか、感想を聞いてみたいものです。