定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

日本庭園が美しい27番札所「神峯寺」

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はじめに

27番札所神峯寺(こうのみねじ)は標高570mの神峰山の中腹(430m)にあって、高知県では一番高いところにあります。

お寺までは、まっ縦(たて)といわれる急な山道で、歩き遍路にとっては「遍路ころがし」と呼ばれる厳しい難所として知られているようです。

車でも上がることはできますが、これまであまり経験したことのないような、かなりきつい坂を上って行きました。

駐車場からの急な坂を上って行くと、左が神峯寺で右が神峯神社への登り口になります。

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境内

案内図

仁王門

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仁王様

色鮮やかな阿吽像です。

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本堂への階段

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日本庭園

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神峯の水

 土佐の名水40選に選ばれています。

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本堂

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大師堂

平成4年に落慶されています。

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不動明王像

リアルな極彩色の不動明王さまに青いお花が供えられていました。

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縁起

寺伝によると神功皇后が天照大神を祀ったことが起源とされており、8世紀の初めに聖武天皇の勅によって行基が十一面観世音菩薩を本尊としたといわれています。

9世紀初期に空海(弘法大師)が観音堂を建立して以後、寺勢が盛んとなりましたが17世紀初めには火災によって、すべて焼失してしまいました。

その後、本堂と大師堂と鎮守社は再建されましたが、あまりに険しい山中の札所だったので、麓のお寺で遥拝して納経する人が多かったようです。

明治の神仏分離令によって神峯神社だけが残ってお寺は廃寺となってしまいます。本尊は26番札所金剛頂寺に移され、納経もされていましたが、1887(明治20)年に堂舎が建立されて本尊を移し、札所として再興されました。

大正期に茨城県の真言宗地蔵院の寺格を移し、昭和に入ってから神峯寺と称するようになったようです。

麓からお寺に通じる車道がありませんでしたが、1975(昭和50)年から神峯道整備事業団によって車道の整備が進められました。

幕末に、三菱財閥の創設者である岩崎弥太郎の母は、片道20kmの道のりを神峯寺まで21日間通い続けて、息子の開運を祈願したという逸話があります。

岩崎弥太郎について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓

www.teinenoyaji.com

神峯神社

神峯寺から約300m程、上った所に位置します。神社までの参道は、うっそうとした木々に包まれた、苔むした階段が続いています。

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神仏習合でしたが、明治の神仏分離令によって、お寺が廃され神社のみが残りました。1887(明治20)年に神峯寺が再興され、現在は神峯寺の奥の院とされています。

本殿前にも、見上げるような階段があります。

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本殿

おわりに

駐車場からも急な坂を歩いて行かなければならず、境内でも急な階段を上って行かなければなりません。

山の斜面に建立されたお寺ではありますが、見事な庭園とよく手入れされた境内は心を和ませてくれます。

また、境内から太平洋を遠望でき、その景色にうっとりとさせられます。

山中に鎮座する古色蒼然とした神峯神社も、歴史の重みを感じさせてくれるすばらしい景観を作り出してくれていました。

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境内の向こうに太平洋