定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

石鎚山と共に64番札所の「前神寺」(まえがみじ)

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はじめに

愛媛県西条市には60番「横峰寺」から64番「前神寺」まで、5カ寺の札所が集中してあります。

弘法大師への信仰が厚い地域であったからではないかと思います。

「前神寺」は石鎚山への信仰に基づいていますが、弘法大師も霊験あらたかなこの山で2度に渡って修行をなさっていて、石鎚山との繋がりは深いものがあります。

石鎚山頂にある奥前神寺

石鎚山ロープウェイの山頂駅から少し上った標高1400m付近に元々の前神寺があって、今は奥前神寺といわれています。

石鎚山ロープウェイについて、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓ 

www.teinenoyaji.com

ここまで徒歩で上ってくるのは、本当に厳しい場所だと思います。

江戸時代初期に、札所としての便宜をはかるため麓に里前神寺を設置したため、通称として奥前神寺と呼ぶようになりました。

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麓にある前神寺の境内

惣門

「石鉄山」の山号を掲げた額のある惣門を入っていきます。傍らに赤い曼殊沙華やコスモスが咲き誇っていました。春には満開の桜並木が見られるそうです。

向かい合わせの狛犬が出迎えてくれます。

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大師堂

惣門をくぐって上って行き、薬師谷川に架かっている極楽橋を渡って右手にある鐘楼堂のあたりから、正面に大師堂が見えます。

屋根の上には鳳凰とか獅子のようなりっぱな置物が飾られていました。

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大師堂を右に行くと本堂に続く階段があります。

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本堂へ上がる階段に行くまでには、金毘羅大権現を祀る小さな祠や修行大師像・水子地蔵尊が祀られてありました。

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金毘羅大権現、修行大師像、水子地蔵尊

階段前の浄土橋の右手に御滝行場不動尊があります。不動様の上から水が滴り落ちていました。

かつては滝行が行われており、水量も豊富だったようです。

1円玉を張り付けておくとご利益があるそうです。

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薬師堂と護摩堂

階段を上がるとすぐ右手に薬師堂と護摩堂が並んでいます。本尊として薬師堂には薬師如来様が護摩堂には不動明王様が祀られているようです。

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薬師堂と護摩堂

本堂

緑が迫ってくる山あいにあり、青い銅板葺きの屋根を持つ立派な入母屋造の建物した。本尊は阿弥陀如来様です。

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石鉄権現堂

薬師堂の隣にある階段を上ると石鉄権現堂があります。石鈇山蔵王大権現を祀っています。

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縁起

標高が1,982mある四国の石鎚山は山岳信仰の山として知られています。

前神寺はその石鎚山の麓にある64番目の霊場で、修験道の根本道場でもあります。

7世紀の頃、修験道の祖とされる役小角(えんのおずぬ)が石鎚山で修行をした時に、釈迦如来と阿弥陀如来が石鉄大権現となって現れたので、尊像を彫って安置したことを開創としています。

桓武天皇が病気平癒を祈願して成就したため、以来、歴代天皇の厚い信仰を受けました。

江戸時代には西条藩松平家の祈願所になっています。

紆余曲折

元々、前神寺は石鎚山の7合目(標高1400m)付近にありましたが、江戸時代に札所としての便宜を図るために麓に出張所が設けられました。

これにより元の前神寺は「奥前神寺」、麓の出張所は「里前神寺」と言われるようになります。

1769年、幕府の裁定で「奥前神寺」は「常住社」、「里前神寺」は「前神寺」とされ、本寺機能が現在の地に移転されていったようです。

明治の神仏分離令によって廃寺とされてしまいますが、やがて再興され現在に至っています。

おわりに

紆余曲折はありましたが、石鎚山信仰によって栄えてきたのが前神寺です。

静かな境内ではありますが、石鎚山の山開きには大勢の信者であふれんばかりの活気となるそうです。

奥前神寺まで石鎚山ロープウェイに乗って行きましたが、まさに深山幽谷での厳しい修行の場所という感じでした。

昔、お遍路さんが奥前神寺まで行くことは命がけであったことでしょう。

信仰の強さを感じることができました。