はじめに
高知県安芸市出身で有名なのは、三菱の祖である岩崎弥太郎と童謡作曲家の弘田龍太郎です。
誰もが一度ならず何度も聞いたことがあり、口ずさんだ歌を作曲しています。
安芸市は弘田龍太郎の故郷として彼の作曲した童謡にちなんだ「童謡の里」づくりを進めてきました。
安芸駅
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の安芸駅に「童謡の里」をアピールする看板が設置されています。
やなせたかし作「あき うたこちゃん」キャラクター
安芸市出身の作曲家弘田龍太郎にちなんで、音符が描かれた着物を着ている女の子です。
安芸駅前に設置されていました。
童謡の曲碑の建立
地元の人々による「動揺の里づくり運動」によって1978(昭和53)年に第1号の曲碑が建立されて以来、10基の曲碑が市内のあちこちに建てられました。
安芸市の名所に建てられているものも多く、曲碑を巡ると安芸市の観光もできます。
どの曲碑も、人々が良く知っている歌ばかりです。
第1号曲碑「浜千鳥」
第2号曲碑「咲いた桜に」
第3号曲碑「お山のお猿」
戦国武将の安芸国虎の墓がある浄貞寺に3号曲碑があります。
安芸国虎は長宗我部元親と対立し、戦に敗れてこの寺で自刃した人物です。
第4号曲碑「雨」
赤野自転車道休憩所に設置されています。ここから見る、高知市方面に伸びた海岸線は絶景です。
第5号曲碑「雀の学校」
土居橋の欄干に設置されています。竹久夢二のレリーフも埋め込まれていました。
第6号曲碑「春よ来い」
岩崎弥太郎の生家がある所に、設置されています。
岩崎弥太郎について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
第7号曲碑「叱られて」
第8号曲碑「鯉のぼり」
溝ノ辺公園に設置されています。
観光名所の「野良時計」がある所に整備されている駐車場+公園の一角にありました。
野良時計とは
明治時代、大地主であった畠中源馬は時計に興味を持ち、アメリカ製の八角時計を分解して構造を理解し、自作の時計を作りあげました。
当時は、ほとんどの人が時計を持っていなかったため、農民にとっては時間を知るうえでとても役立っていたといわれています。
1996(平成8)年には国の登録有形文化財となっています。
その後、管理者がいなくなってしまったため時計は止まってしまいましたが、2005(平成17)年の「時の記念日」に再稼働することとなりました。
第9号曲碑「金魚の昼寝」
江ノ川上公園
第10号曲碑「靴が鳴る」
安芸駅に子どもたちのモニュメントがあります。
弘田龍太郎とは
1892(明治25)年、教育者の父と一絃琴の名手であった母の間に、長男として誕生しました。
父の転勤に伴い安芸を離れ、千葉師範学校付属小学校、三重県立第一中学校を経て、1910(明治43)年に東京音楽学校器楽部ピアノ科に入学しました。
卒業後、1917(大正6)年に新設された作曲部に再入学しています。
大正期になってから本格的な作曲活動を展開し、北原白秋の「青い鳥運動」の中で、有名な童謡を次々と発表しました。
晩年は作曲活動のかたわら、幼児教育にも携わっています。
1952(昭和27)年、60歳で死去されました。
カリヨン時計
たくさんの鐘で音楽を奏でるカリヨンとからくり時計を組み合わせたモニュメントです。
柚子をイメージしている黄色の球に、からくり人形が納められています。
おわりに
安芸市はゆかりのある童謡作曲家の弘田龍太郎をテーマにして、「童謡の里」として「安芸童謡フェスティバル」をはじめとした様々な童謡関係のイベントを行ってきました。
1989(平成元)年には「赤とんぼ」を作詞した三木露風の出身地である兵庫県たつの市と童謡で結ばれた姉妹都市縁組までしています。
誰もが知っていて、口ずさんだことのある歌を通して、交流の輪が広がることはとても素敵なことです。
これからも、もっと弘田龍太郎の作曲した童謡が人々の心の中に広がるようになって欲しいものです。