はじめに
藤井寺は「ふじいじ」ではなく「ふじいでら」と読みます。
「てら」と読むのは、四国霊場では藤井寺だけのようです。
藤の花の名所としても知られており、春4月の中旬より、可憐な藤の花を観賞することができます。
藤井寺といえば、関西では大阪の藤井寺市(ふじいでらし)が有名です。
ただ、藤井寺市は、市内にある「葛井寺」(ふじいでら)に由来しているようなので、こちらとの直接の関係はなさそうです。
三方を山に囲まれた麓の深い谷間に、ひっそりとたたずんでいるお寺です。
焼山寺への道
藤井寺は、山を越えて12番札所「焼山寺」に向かう約13kmの「遍路ころがし」といわれる最初の難所の入口にあたります。
男8時間、9時間かかるといわれる、細く嶮しい山道が続きます。
歩き遍路の人にとっては、1番札所から比較的平坦な地の札所が続いていたので、藤井寺からの遍路道を前にして、身が引き締まる思いとなったことでしょう。
12番札所「焼山寺」について、詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
境内
山門
空海手植えの藤
仁王門をくぐると、満開の藤棚がありました。
「弘法大師空海お手植え」と伝えられている藤です。
本堂
本尊は薬師如来坐像で国の重要文化財に指定されている、平安時代末期の1148年に制作された四国霊場で最古の仏像です。
寺伝では薬師如来とされていますが、像の墨書銘から釈迦如来像として造立されたということで、重要文化財指定名称も「木造釈迦如来坐像」とされています。
龍の天井画
本堂に迫力ある龍が天井いっぱいに描かれていました。1977(昭和52)年、本堂が改修された際に、地元出身の画家が描いたものです。
大師堂
白龍弁財天
八本の手を持つ白龍弁財天が祀られています。
剣や筆、弓などを手に持っていて、金運アップ、武芸や芸事の上達に御利益があるといわれています。
延命地蔵尊
母子を守って、赤ちゃんを延命させるといわれています。
縁起
寺伝によると、815年に空海がこの地の山にある八畳岩で衆生安寧祈願の修行をし、薬師如来像を刻んで祀ったことが創建とされます。
このとき空海が境内に藤を植えたことから藤井寺と称したといわれています。
以来、真言密教の道場として七堂伽藍を備えた大寺に発展しました。
16世紀後半の天正年間に長宗我部元親の兵火によって焼失してしまいました。
江戸時代前期にはすっかり荒廃してしまったようですが、17世紀後半に、臨済宗の僧南山国師によって再興されたので臨済宗に改められました。
江戸時代末に火災によって本尊以外は全焼してしまいますが、再建されたのが現在の伽藍ということです。
豊かな湧き水の手水舎
おわりに
歴史的に紆余曲折があったようですが、平安時代末に作られたご本尊をこれまで守り続けていることは、並大抵のことではありません。
いつの時代にも人々の篤い信仰を集めていたということの証ではないでしょうか。
4月中旬に参拝すると、藤の花が咲き誇っており、甘い花の香りが境内に漂っていました。