はじめに
今治市の中心に、四角い堀に囲まれた堂々たるお城の今治城があります。別名「吹揚城」ともいわれています。市のシンボルとして大切に保存・整備されていて、今治市民の誇りでもあり憩いの場所でもあります。
堀の水に映る天守や櫓の映像は、何とも言えない優雅な趣があります。
お城案内
天守(歴史資料館・自然科学館)⇒御金蔵(現代美術館)⇒山里櫓(古美術館)⇒鉄御門・武具櫓という具合に順番にめぐっていきます。
今治の歴史と文化を知ることができました。
城内
正面入り口への道
お城に通じる道が堀の中に築かれています。ここを通って入り口の枡形虎口に向かいます。
枡形虎口(ますがたこぐち)
巨大な石垣に囲まれている四角い広場です。
敵が攻めてきた時に、石垣の上にある櫓から攻撃できるようになっています。それにしても、大きい石が埋め込まれていました。
城内への入り口にあたる鉄御門(くろがねごもん)
鉄板に覆われた堅固な門です。
藤堂高虎公の像
二の丸跡の広場にある、武将ではありますが平服姿の像が2004(平成16)年に建てられました。
天守
1980(昭和50)年に建築された5層6階建ての鉄筋コンクリート造りです。
内部は甲冑などの歴史的文物を展示している資料館と自然科学館になっています。
天守からの眺望
最上階からの眺めは抜群です。
しまなみ海道と山里櫓が見えます。
吹揚神社
かつての本丸に明治時代に神社が建立されました。
鉄御門と武具櫓
天守からはお城の正面入り口にある鉄御門、武具櫓や広場が見渡せます。
歴史
関ヶ原の戦いの戦功により徳川家康から伊予20万石を与えられた藤堂高虎が築いた平城です。
藤堂高虎は築城の名人ともいわれており、伊賀上野城や丹波亀山城を築いています。
今治城は海の近くにあり、海水が引かれた堀を有する海城で、直接、海から船で堀に入ることができたそうです。
堀の水は、潮の干満によって海水が入れ替えできるようになっていました。
香川県の高松城、大分県の中津城とともに日本三大水城の一つとされています。
1604年にほぼ完成しましたが、藤堂高虎が伊賀・伊勢へ転封となったために1635年からは松平氏の居城となり、明治を迎えています。
明治維新後に建物は壊されてしまい、内堀と石垣のみとなってしまいましたが、1980(昭和55)年から天守をはじめとして櫓などが再建されました。
再建された天守は5層6階建ての鉄筋コンクリート造りとなっていて、建築当初の明確な資料があまりないために史実に基づいていない模擬天守です。
おわりに
堀と石垣のコントラストの美しいお城です。周囲を整然とした四角いお堀で囲んでおり、鉄壁の防御力を有しています。400年も前に、藤堂高虎が地形をうまく利用して、新しい時代にふさわしいお城として完成させた、歴史に残るお城が四国にありました。