はじめに
丸亀市街の中心にあるお城で、標高66mの亀山といわれる自然の小山に築かれた平山城で、遠くからでも山の上にそびえる天守を見ることができます。
四角い内堀の中にある山のあちこちに、反り返った石垣を配置しており、石垣の名城としても知られています。
城内
城内案内図
大手門から坂道を500mほど、上って行くと天守です。
内堀と石垣
大手門
城の玄関ともいえる北側にある堀端の高麗門を二の門といっています。二の門をくぐると、敵の進入を防ぐための枡形になっていて、右手の櫓門が一の門です。
いずれも歴史のある立派な門で、国指定の重要文化財となっています。
枡形の石垣
巨大な石が所々にはめ込まれていますが、中には、触ると良縁のご利益があるとされる「幸運のハート石」があります。
大手門から天守への坂道
石垣
城の周囲には、さまざまな手法で積み上げられた石垣があちこちにあります。
石垣については、次のような伝説が残されています。
羽坂重三郎は丸亀城の石垣を完成させた中心人物です。殿様が完璧な石垣に満足して「この石垣は誰も乗り越えることはできない」といったところ、重三郎は「私なら簡単に登れます」と鉄棒を使って上ってしまいました。
殿様は重三郎が敵になると大変だと思い、井戸の底に埋め殺してしまったということです。
三の丸から二の丸へ
天守
日本一小さな現存している3層3階建ての木造天守です。
小さくて可愛らしい城といっても、下から見上げると他の有名な城にも引けを取らない堂々とした立派な雄姿だと思います。
歴史
豊臣の時代、讃岐を与えられた生駒親正が高松城を本城とし、別に亀山に支城を築き、ほぼ現在の城郭が完成しています。
生駒氏がお家騒動のため出羽国に転封となった後、山崎氏が入封して丸亀藩となりましたが、3代目が子どもであったため後継ぎがおらず改易となってしまいました。
代わって播磨国より京極高和が入封し、以後、明治時代まで京極氏の居城となりました。
キャラクター
丸亀のご当地キャラクタートリオです。
左からうちっ娘(こ)、京極くん、とり奉行骨付じゅうじゅう
石垣の修復
2018(平成30)年、豪雨や台風24号の影響などにより、丸亀城跡の石垣が崩れ落ちてしまいました。残念なことに、石垣がとても美しい城だったのですが無残な姿になってしまっています。
以前の姿を忠実に再現するために、懸命な修復作業が進められています。
かつて野球場であった所に崩落した石垣が保存されており、修復の時を待っています。
石垣復旧PR館も作られています。
おわりに
讃岐の平野の中にあって、遠くから見てもその優美な姿に見ほれてしまうようなお城です。お城を中心に街が形作られていて、丸亀は、まさにお城を中心とした城下町です。
町のシンボルとしてのお城も素晴らしく、天守や石垣など比類なき宝物だと思いました。
城山からの瀬戸大橋
お城からは、はっきりと瀬戸大橋の姿を見ることができました。