はじめに
愛媛県大洲市にある大洲城は、明治時代に取り壊されてしまいましたが、市民の並々ならぬ熱意によって、木造による完全な復元を果たしたお城です。
天守閣の復元は、1994(平成6)年に検討委員会が発足してから1996(平成8)年に完成するまで、10年もの年月がかかりました。
完成した天守がそびえているお城は、遠くからでも近くからでも、その美しい姿を眺めることができます。
新築の天守を有するお城ではありますが、日本100名城にも選ばれています。
天守と高欄櫓
城の案内図
駐車場から本丸までは、ゆっくり歩いて約10分ほどの上りになっています。
階段はありませんでした。
城内
お城を上って行くと、巨大な石垣の向こうに天守が見えてきます。
坂を上りきると、本丸です。
天守と台所櫓
天守への入口
入口受付の所に飾られていました。
築城の様子の模型
天守の急な階段
天守最上階の天井の棟札
天守最上階から見た肱川(ひじかわ)
歴史
大洲城は、鎌倉時代末期に伊予国の守護であった宇都宮豊房が、肘川(ひじかわ)に突き出た標高20mの地蔵ヶ嶽に築いた地蔵ヶ岳城に始まります。
その後、小早川隆景や藤堂高虎といった名だたる戦国武将の城となりました。
江戸時代初めに、伯耆国米子から加藤貞康が入城して以来、明治維新まで12代にわたって加藤家の治世が続いています。
1888(明治21)年に、残念ながら天守が取り壊されてしまいました。
しかし、さまざまな史料をもとに2004(平成16)年に4層4階(19,15m)からなる立派な天守が、伝統工法を用いて木造で復元されています。
台所櫓、高欄櫓(こうらんやぐら)、苧綿櫓(おわたやぐら)、三の丸南隅櫓(みなみすみやぐら)は、解体をまぬがれて国の重要文化財に指定されました。
高欄櫓から見た天守
隣にある棟続きの高欄櫓から見た天守です。
おわりに
1600年前後に建てられた天守の復元は、技術的にも多くの困難があったと思いますが、何百年も前のお城の姿を現代の私たちは見ることができ、素晴らしいとしか言いようがありません。
これからも、大洲のシンボルとして多くの人に見てもらいたいと思いました。
追記
お城好きの高橋英樹さんや十代目坂東三津五郎さんも訪れていたようです。