はじめに
松山市から南隣に位置する砥部町は、古くから砥部焼(とべやき)という焼き物の産地として有名でした。
現在でも数多くの窯元があり、焼き物の生産を盛んに行っています。
砥部焼伝統産業会館では砥部焼の歴史的な資料や貴重な焼き物、優れた現代作品が展示されています。また、催し物会場となる部屋や砥部焼の販売会場もあります。
このような焼き物の伝統産業館は全国各地にあって砥部焼伝統産業会館もその一つです。
「染付山水絵大壺」
砥部焼とは
砥部焼は、江戸時代に始まり約240年の歴史があります。
大洲藩が砥石のくずを使った磁器づくりを命じたことが始まりとされ、18世紀末ごろ、白地に藍色の焼き物作りに成功しています。
近くの山で必要な薪が豊富に採れたうえ、傾斜地に流れている小川に水車を据えるのに適していたことなど、焼き物づくりの条件に適していました。
明治期以降、砥部焼は地場産業として技術革新を繰り返しながら大きく発展してきました。
1976年(昭和51)年には、当時の通商産業省より「伝統的工芸品」として焼き物では6番目に指定されています。
砥部焼伝統産業会館
外観
「白い花」
玄関前の植え込みにバラの花のような作品がありました。
館内展示作品
巨大地球儀
ろくろで作られた作品としては日本最大といわれる砥部焼の地球儀「生命の碧い星(いのちのあおいほし)」が玄関ロビーに展示されています。
高さが160cm、直径が105cm、重さが300kgもあり、1995(平成7)年に国連欧州本部(スイスのジュネーブ)へ寄贈した作品の姉妹品だそうです。
2017(平成29)年の「えひめ国体」の時に真子さまがご来館なされて、この作品をご覧になったと解説にありました。
子持高坏
砥部町の古墳から出土した須恵器が展示されています。砥部の焼き物の長い歴史をうかがい知ることができました。
江戸中期の砥部焼
素朴で実用的な感じのする焼き物です。
明治中期の砥部焼
豊かで美しい色使いの焼き物でした。
現代の作品
洗練され透き通った色合いの綺麗な焼き物ばかりです。
館外の作品
水琴窟
私の亡き父も、趣味で水琴窟を作っていました。
詳しくはこちらをご覧ください。↓↓↓
「砥部焼の五輪聖火台」モニュメント
大森研一監督による映画「未来へのかたち」は、砥部焼で巨大な五輪聖火台を作成しようとする家族の物語です。
映画で使用された巨大な聖火台が展示されていました。
おわりに
日頃、身近に使用している器の形をしているのですが、砥部焼の器は見ているだけでその美しさに時間を忘れて見とれてしまうほどでした。
長年にわたる先人の工夫や努力が、一つひとつの器に表れているかのようです。
砥部焼は生活のための工芸品ではありますが、芸術的な美術品として人々の心に感銘を与える素晴らしいものだと思いました。