はじめに
徳島県文化の森総合公園は、徳島市の中心部から南へ約5キロ、標高190mの向寺山(むこうてらやま)にあり、1990(平成2)年に開園しています。
園瀬川を見下ろす斜面を切り開き、徳島県の置県100年を記念して様々な文化施設が建設されました。
「100年のモニュメント」として、これからの徳島県がより輝いたものになることを願って構想し建設されています。
公園内には図書館や博物館、鳥居龍蔵記念博物館、近代美術館、文書館、二十一世紀館といった6つの文化施設が立地しており、まさに徳島文化の中心といった森の中の公園です。
二十一世紀館
2階に近代美術館・鳥居龍蔵記念博物館・県立博物館が入っています。
徳島県立近代美術館
徳島県立近代美術館は、美術を通して豊かな人間性を育むとともに、学習の場としての役割、国内外や徳島ゆかりの美術作品を収集して保存、伝承していく役割を果たしているということでした。
「着衣の横たわる母と子」ヘンリー・ムーア
ローズマリー・コーツィー
著作権フリーの無題作品がありました。
イサム・ノグチ
徳島県立鳥居龍蔵記念博物館
鳥居龍蔵(1870~1953)は、日本における人類学の草分け的存在の研究者です。
徳島市の裕福な煙草問屋の次男として生まれた龍蔵ですが、学校嫌いで自伝では「尋常小学校を中途で退学」と書いてあるほどです。
いわゆる学歴エリートではなかったようです。
独学で人類学を学びながら、東京人類学に入会して東京帝国大学理科大学人類学教室の坪井正五郎博士と交流が始まりました。
1890(明治23)年には上京し、2年後には一家で移住することになります。
東京帝国大学理科大学人類学教室標本整理係として調査・研究に励み助手・講師を経て助教授となっています。
1924(大正13)年に東京帝国大学を辞職し、鳥居人類学研究所を設立しました。鳥居には学歴がなかったため、東京帝国大学との根深い対立があったようです。
国学院大学教授、上智大学文学部長兼教授となっていますが、特に上智大学の創立に尽力し深くかかわっていたようです。
鳥居は、日本国内だけでなく東アジアや南米などの各地を現地調査するとともに、カメラで記録するといった当時としては、先進的な調査方法の開拓者でもありました。
1939(昭和14)年には、北京のハーバード・燕京研究所客座教授に就任し、1951(昭和31)年に帰国し、1953(昭和28)年、82歳で生涯を閉じています。
王子神社
縁起
天照大神の第3皇子とされる天津日子根命(アマツヒコネ)が、根子神(土着神)として、阿波藩蜂須賀家家老の長谷川家によって代々、祀られてきました。
俗に「阿波の猫騒動」から「猫神さん」とも言われています。
約300年前、無実の罪で捕えられ処刑されたお松さんが、愛猫のお玉に報復するように言い残したところ、お玉の霊が罪をかぶせた人々に祟ったといわれています。
長谷川家がお松とお玉の霊を祀ったところ、それから「願い事をかなえてくれる猫神さん」と信仰を集めるようになりました。
さざれ石
「さざれ石」は小石が長年月のうちに凝結して岩石となったものです。
岐阜県揖斐川町にも「さざれ石」があり「君が代」発祥の地とされているようですが、「さざれ石」は日本各地で祀られています。
徳島県神山町や佐奈河内村から産出される「さざれ石」は緑色をした石で、地元では「神凝り石」とも呼ばれ、神霊が宿るとされていました。
神社に鎮座している石も「君が代に詠まれた阿波神山のさざれ石」として大切に祀られています。
おわりに
文化の森公園では、美術館や地元の傑出した人物の記念館、歴史ある神社といった徳島の文化を味わうことができます。
時間を忘れて観賞したり見学したりできるだけでなく、心願成就のお参りまで出来る心を癒してくれるスポットでした。
「四国三郎」速水史郎