はじめに
徳島市のビルが立ち並ぶ中心部に、こんもりとした城山を有している徳島城があります。
かつての城郭は公園となっていて、市民の憩いの場所として整備されています。
周囲はちょうど良いランニングコースになっているようで、多くのランナーを見かけました。
標高61mの城山も適度な散歩コースとして健康づくりに一役買っているようです。
多くの徳島市民に愛され親しまれている城跡のようです。
城内案内図
城内へ
鷺の門
徳島城の正門。1945(昭和20)年の徳島大空襲で焼失してしまいましたが、1989(平成元)年に再建されました。
東内堀
黒門枡形
ラジオ塔
黒門枡形を入った太鼓櫓にあります。
ラジオ放送が開始された初期の頃に、普及目的で人々にラジオ放送を聞かせるために設置されたものです。
四国で現存しているのは3か所だけで、そのうちの一つです。
ラジオ塔は87番札所の長尾寺にもあります。
詳しくは、こちらをご覧ください。↓↓↓
城山
本丸への階段
本丸
標高61mの所にある本丸には、昔、御座敷・武具櫓・馬具櫓・弓櫓・火縄櫓・留守番所などがあったそうですが、今は芝生広場になっています。
周辺に桜の木がたくさん植えられていて、春にはお花見の名所となるようです。
東二の丸
本丸から東へ少し降りたところに、三層三階の天守が置かれていました。
城山の麓
城山の麓には歴史的遺物や記念碑、公園が点在しています。
藩祖蜂須賀家政像
蒸気機関車
1923(大正12)年から1969(昭和44)年まで、運行されていた「8620形式蒸気機関車」です。
徳島の発展に大きく寄与したことを記念して保存・展示されています。
城山貝塚
4000年~2300年前の縄文時代後期から晩期にかけてのものです。
1922(大正2)年、鳥居龍蔵らによって発掘調査されており、徳島での考古学調査の先駆けとなった遺跡です。
貝殻や土器片が出土しており、当時の人々の生活や自然環境を知ることができます。
バラ園
手入れの行き届いたバラ園に、真っ赤なバラが咲き誇っていました。
城の歴史
室町時代に細川頼之が現在地に小城を築き、黄河支流の渭水(いすい)に例えて渭津、渭山と名付けたとされています。
豊臣秀吉の四国を平定に際し阿波に入国した蜂須賀家政が、海上交通の便に恵まれていたこの地に城を築城しました。
徳島城は自然の丘陵(城山)と北の助任川、南の(旧)寺島川の自然河川を上手く利用した平山城です。
山城部分には、標高61mの本丸を中心にして東二の丸、西二の丸、西三の丸が配置されています。
徳島城は蜂須賀家政以来、14代茂韶(もちあき)までの280年間余り蜂須賀家の城でしたが、1875(明治8)年に建物が解体されて、その歴史を閉じました。
日露戦争の戦勝記念として、城跡は徳島公園となり一般に開放されています。
城山の東麓にある公園の一角
おわりに
残念ながら城の往時を偲ぶことのできる建物は、鷺の門を除いてありませんでしたが、市民の憩いの場所として大切にされているお城でした。
街中に、このような誰もが利用できる憩いの場があることは、とても素敵なことです。
これからも徳島市のシンボルとして、大切に保存・整備されていって欲しいと思いました。