はじめに
四国中央市の南側にそびえる法皇山脈を越えると、東西に流れる銅山川(吉野川の支流)があります。
この川に、下流より新宮ダム・柳瀬ダム・富郷ダムという3つのダムが建設されました。
銅山川の一番、上流に位置しているダムが富郷ダムです。
法皇湖は富郷ダムが建設されたことによって出来たダム湖で、法皇山脈にちなんで命名されています。
ダム建設に伴い、金砂湖~ 富郷ダム~新居浜市別子山までが片側1車線の立派な道路として整備されました。
信号機もなく適度にくねくねとした道なので、多くのバイク愛好家がツーリングを楽しむことができます。
法皇湖の湖畔にある「てらの湖畔広場」
「てらの水のやかた」
1階の資料館には富郷ダムの歴史についての展示室や、レンタサイクルのサービスステーションがあります。
「湖畔のやかた」
2階は展望レストランとなっていて、ここで名物のダムカレー定食をいただきました。
銅山川に生息している「あめご」のから揚げは、柔らかくてしっとりと揚げられていて、頭からしっぽまで全部食べることができます。
富郷ダムの堰堤をイメージしたご飯は、地元の富郷産米を使用しています。
レストランから水を満々とたたえている法皇湖をイメージしたカレーのルーは、お皿からあふれんばかりの量でした。
季節ごとの地元富郷産の旬の食材が、付け合わせで添えられています。
今回は、わらびのサラダでした。
この地域の食文化を一手に詰め合わせている定食を、法皇湖を目の前にして美味しくいただきました。
細川家古民家
ダム建設により62戸が水没してしまっています。
1882(明治15)年に建築された細川家住宅が保存民家に選ばれて、この地に移築されました。
2016(平成28)年には茅葺き屋根の改修工事が行われ、大切に保存されています。
蛇岩(へびいし)
ダムの底に沈んでしまった民家から運ばれた岩です。
言い伝えによると、讃岐から美しい娘(ヘビの化身)がやって来た時、日が暮れて困っていたところ、ある民家が泊めてくれました。
翌朝、お礼にこの巨大な岩を川から運んできた後、男のヘビが待っていたヘビ淵に飛び込んでヘビの姿に戻ったそうです。
もしかしたらこの蛇岩には何か、お宝が封じ込められているのかもわかりませんね。
富郷ダム
洪水調節・上水道・工業用水・発電を目的とする多目的ダムとして2000(平成12)年に完成しました。
エレベーターで下に降りて、ダムの堤内を見学することができるようなので、ぜひ一度見に行きたいと思います。
ダム建設の様子がレリーフとして残されています。
鎮魂碑
工事関係犠牲者3名の鎮魂碑です。
残念ながら、このダムでも工事に際して犠牲者がいたようです。
美しい山々の中でのダム工事は、危険と隣り合わせであるということを改めて感じました。
おわりに
「てらの湖畔広場」に保存されている記念物から、かつては湖の底に豊かな人々の暮らしがあったこと、建立されている鎮魂碑からは過酷なダム工事の現場の様子をうかがい知ることができました。
美しい山並の中で、静かな湖面が広がっている人造湖や豪壮なダムの景観を見ながら、建設の中で失われた人命や暮らしていた人々の思いを、忘れないようにしないといけないと思いました。