王義之の拓本
屋根裏倉庫の片付けをしていると王義之の拓本を見つけました。
1987(昭和62)年の8月に中華人民共和国を旅行した時、西安碑林博物館で買ったものです。碑林とあるように文字を刻んである大きな石がたくさん林立していて、「中国最大の石造の書庫」とも言われているところです。
当時は知識もなく、初めから関心があったわけではありませんでした。しかし王義之とか顔真卿といった書の大家の名前ぐらいは知っていたので、お土産に買って帰ったものです。
それっきり忘れてしまっていたのですが、出てきた拓本を見ながら当時のことを思い出しました。
何を書いてあるのか意味は分かりませんが、文字はとても美しく芸術的です。一文字一文字じっくり眺めていると、ため息が出てきます。
黒板に文字を書いて仕事をしてきましたが、いつも自分の文字はきたないというコンプレックスをずっと持っていました。
本当に文字の綺麗な人がうらやましい。
今はパソコンで書いているのでブログをすることが出来ますが、自筆ならとてもできません。
ありがたい時代で良かったと思っています。
鳴沙山の砂で砂文字を書きました
屋根裏倉庫の片付けを続けていると、鳴沙山の砂が出てきました。
1987(昭和62)年の8月に敦煌郊外の観光地である月牙泉(げつがせん)と鳴沙山に行った時のものです。
飛行機で上海から蘭州・嘉峪関(かよくかん)まで行き、万里の長城の西の端にある嘉峪関を見ながらバスで敦煌に向かいました。
嘉峪関から敦煌まで400キロぐらいあり、何時間もバスに揺られて目的地の敦煌についたのは夜中の2時か3時であったと思います。
夜中にもかかわらずどの車もライトを点けずに走っています。バッテリーの消耗を防ごうとしているのかとも思ったりしました。
乾燥している砂漠地帯なので雲が広がっているようなこともなく、月明かりを頼りにどの車も爆走していました。
中国のへき地なので車といってもトラックばかりの時代です。
やっとホテルに到着し、翌日、敦煌の郊外にある月牙泉に行きました。ここは砂の山である鳴沙山の側にある三日月形をしたオアシスです。
有名な観光地になっており、ここでラクダに乗りました。ラクダが立ち上がる時にもの凄く前のめりになって落っこちそうになった思い出があります。。
どこもかしこも砂だらけでした。
屋根裏倉庫の片付けをしていて、少しばかり記念に持ち帰ってきた砂が出てきたという次第です。
粒子が非常に細かいので、紙に糊で「鳴沙山」と書き、その上から砂をふりかけてみました。鳴沙山の砂で現した文字です。
また、行ける時が来るでしょうか?