霊山寺
四国八十八か所巡りの第1番札所で発願の寺となる霊山寺(りょうぜんじ)が、霊場巡りの全行程1460km、365里のスタートとなります。
霊場巡りは何処からでも構わないのですが、やはり1番札所からというのが何となく納まりが良いように思います。
由緒
奈良時代、聖武天皇の勅願により行基によって創建されています。
815年に弘法大師が人間の八十八の煩悩をなくすため、四国に八十八の霊場を開こうとしてこの地にやって来ました。
ここで弘法大師が修法をしていた時です。僧侶たちが仏法を説いていた老師を取り囲んで話を聞いていた状景が、釈迦が説法をしていた情景と重なっていると感じ、インドの霊山を和国に移すという意味で「竺和山霊山寺」と名付けたとされます。
そして弘法大師は持仏の釈迦如来を納めて霊場開創祈願をしたといわれます。これが白鳳時代の作とされる身の丈三寸(14cmぐらい)の誕生仏です。
本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめられました。
秘仏ですが2014(平成26)年の四国霊場開創1200年記念で開帳されています。
霊山寺の本尊は弘法大師作と言われている釈迦如来で、八十八か所霊場で釈迦如来を本尊としているのは5カ寺だけのようです。
室町時代には三好氏の庇護のもと大いに栄えましたが、1582年長曾我部元親の兵火により焼失します。
その後徳島藩蜂須賀家によって再興されましたが、1891(明治24)年の大火で本堂と多宝塔以外は焼失してしまいます。
伽藍
仁王門と大師堂
本堂
本尊釈迦如来が安置され、天井からはたくさんの灯籠が吊り下げられており昼間でも幻想的な光景です。
多宝塔
五智如来が祀られています。
五智如来とは大日如来を中心として、阿しゅく如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空如来の5如来を総称したものです。
室町時代の応永年間(1394~1428)に建造されており、たびたび繰り返された大火にも焼失をまぬかれ、現存しています。
放生池
仁王門を入って右側に錦鯉が泳ぐ放生池があります。仏教には殺生を戒め、命を慈しむ「放生会」という儀式があります。
この儀式で魚などを放つ池のことを「放生池」といいます。
池の中では6体の童子が跪いて地蔵菩薩を見上げて祈っています。
13仏堂
不動明王堂に続いて12仏堂があります。
13仏とは亡くなった人のために初七日から33回忌まで計13回の仏事がありますが、それぞれの回ごとに担当の仏さまが決まっています。
最初の初七日は不動明王さまなので、単独のお堂が設けられており、その隣に12仏が配されていました。
おわりに
四国八十八か所霊場巡りは第1番札所の霊山寺からスタートします。
順番通りにお参りするわけではないのですが、何にしてもスタートというのは心の持ちようが引き締まるような感覚です。
まだまだ巡っていない霊場がたくさんあるので、ひとつひとつ丁寧に巡っていきたいと思います。