定年後の生活ブログ

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道後温泉を見守る伊佐爾波(いさには)神社

 

境内

長い階段を登り切った所に伊佐爾波神社(いさにはじんじゃ)の社殿があります。

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上がったところで、朱色の立派な楼門が目に入ってきます。楼門の2階には八幡宮の額が掲げられていました。

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楼門をくぐって本殿にお参りします。ここでならいつでも結婚式を挙げることが出来るような配置です。

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神社はぐるりを回廊で囲まれていて、回廊の内側には高良玉垂社と常盤新田霊社が鎮座しています。

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高良玉垂社と常盤新田霊社

高良玉垂社(こうらたまたれしゃ)は武内宿禰(たけうちのすくね)を祀られているようです。武内宿禰は大和朝廷初期の伝説上の人物ですが、神功皇后を助けて功績があったとされています。

常盤新田霊社は新田義宗、脇屋義治、松平定長をお祀りしています。新田義貞の子が新田義宗で脇屋義治は甥です。

 

由緒

神社は道後温泉近くの道後山の山腹に鎮座しています。

祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、三柱姫大神です。

 

社伝によると仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に御来湯した際の行宮(あんぐう)跡に創建とされています。

 

当初は道後公園山麓に鎮座していたのですが、1335年に河野氏が湯築城を築造する際に、現在の地に遷座されたようです。

 

加藤嘉明が松山藩主の時に、松山城の固めとして八幡宮を定め武運長久の祈願所となったので湯築八幡宮とも呼ばれています。

 

江戸時代に、弓の名手と言われた3代藩主松平定長が将軍家の御前で弓を射ることになり、神社に必中祈願をしました。結果、見事に射ることが出来たので御礼として社殿の建て替えに着手をしています。

1667年に新社殿が完成しました。本殿は八幡造りで、2棟の建物を前後に連結させてひとつの社殿としたものです。

 

八幡造りの本殿は国の重要文化財に指定されていて、京都の岩清水八幡宮・大分の宇佐八幡宮と並んで八幡造りの代表的な様式だそうです。

 

回廊

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楼門から左右に回廊がめぐらされていて、ぐるっと一周することが出来ます。入り口には見張りの神像が配置されていました。

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お神輿が置かれていました。

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奉納された四十七士の絵馬が飾られていました。

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算額が奉納されていました。算額とは和算の絵馬のことで、多くの貴重な算額が所蔵されています。

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おわりに

伊佐爾波神社は有名な観光地である道後温泉郷の一端を担う観光スポットです。また、道後温泉一帯の氏神様としても厚く信仰されています。

重要文化財の本殿をはじめとした建物は、まさに伝統的な神社建築を今に伝えるものとして重要なものです。

長い歴史の中で、観光を生業としている地域の人々の暮らしと共に大切に守られてきている神社だと思いました。