今週のお題「ふるさと納税」
はじめに
土佐一宮として古来より崇敬の篤い神社です。
高知市北部の、山地と平野の境となる地に南向きに鎮座しています。
土佐の魂の故郷というにふさわしい荘厳なたたずまいの社でした。
境内
楼門(神光門)
2代目藩主の山内忠義によって寄進された楼門です。
歴史のある豪壮で雄大な建築物として重要文化財に指定されています。
参道
新校門を入るとまっすぐに本殿に向かっている、砂道の参道を進んでいくことになります。
本殿
長曾我部元親により本殿、幣殿、拝殿が造営されました。
本殿、幣殿、拝殿の配置は本殿を頭として十字の形になっています。
これはトンボ(蜻蛉)が飛び込む形を表す「入蜻蛉(いりとんぼ)」形式といわれているもので、土佐神社独特なものです。
鼓楼
本殿前の広場には、右手に2代目藩主の山内忠義によって寄進された重要文化財である鼓楼があります。
志那祢(しなね)の森めぐり
本殿の裏手には森閑としてうっそうと木が茂っている森があります。
しなねの森とよばれており、神社ゆかりの旧跡があります。
摂社
事代主神社、西御前者、大国主神社のお社があります。
つぶて石
鎮座地を定めるために、土左大神が投げた石と伝えられています。
みそぎ岩
みそぎの場であった神社西方のしなね川にありましたが、境内に移して祀られています。
厳島神社と大クス
放生池の中の小島に祀られています。左後方には幹回り8mを超す大クスがそびえ立っていました。
縁起
鎌倉時代末に成立した「釈日本紀」によると、雄略天皇の時に創建されたと書かれています。また、古くは「礫石(つぶていし)」を磐座(いわくら)として祀っていたのが始まりとされています。
文献上では「日本書紀」に675年、「土左大神」から天皇に刀が献上されたとあります。
10世紀初めに成立した「延喜式」では、土佐国唯一の大社と記されています。
戦国時代の兵乱で社殿はほとんど焼失してしまいますが、長曾我部元親によって現在の本殿・幣殿・拝殿(いずれも重要文化財)が再建されています。
江戸時代には土佐藩主山内氏の崇敬を受けて庇護されました。2代目藩主の山内忠義によって楼門、鼓楼(いずれも重要文化財)が造営されて現在に至っています。
神社の名称は、中世・近世には一般に「高賀茂大明神」と呼ばれていたようですが、1871(明治4)年に「土佐神社」と改称されています。
祭神
祭神は、「味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)」と「一言主神(ひとことぬしのかみ)」です。
これらの祭神は、賀茂氏が土佐の国造に任ぜられたことから当地に祀られたものと伝えられています。
おわりに
土佐の心のふるさとともいえる、また、土佐一の宮といわれるにふさわしい、重厚で荘厳な神社でした。
残念ながら本殿は改修工事中のために全体像を見ることができませんでした。工事が終了してから、今一度、訪れて美しい姿を見てみたいものです。