銘菓「かんざし」
「土佐の高知の はりまや橋で 坊さん かんざし 買うを見た よさこい よさこい」
高知のよさこい節をモチーフにした銘菓です。
袋の中のお菓子は、アルミ箔に包まれており、それを取り除くとかんざしの絵柄を見ることができます。
日本で最初に開発された銀紙焼きの技法により作られていて、素材の良さをまるごと生かした独特のお菓子です。
柔らかなカステラ生地の中に白あんが巻かれていて甘くて、かすかにユズの香りが口の中に広がります。
海洋深層水を使用して丁寧に作られています。
よさこい物語
登場人物
有名な高知のよさこい節は、お坊さんと娘の恋の三角関係のもつれの中で生まれた唄です。
登場人物は竹林寺脇坊住職の純信、弟子の慶全、お馬です。1人の女性をめぐって、2人のお坊さんが競い合いました。
三角関係
竹林寺の麓に住んでいた娘のお馬は母親と一緒にお寺に洗濯の仕事に行っていました。そして弟子の慶全と知り合い恋仲になったのです。
ところがこの慶全は浮気性であったらしく、そのことに悩んだお馬は、師匠の純信に相談します。
これをきっかけにお馬は純信に心を寄せるようになりました。
慶全がなんとかお馬の気を引き留めようとして、はりまや橋の橘屋という小間物屋でかんざしを買ってお馬にプレゼントします。
ところがすでにお馬の気持ちは師匠の純信のとりこになっていたのです。
脱藩逃亡
慶全はあろうことか、師匠の純信が女のためにかんざしを買ったという嘘を広めます。
このため、土佐にいたたまれなくなった純信とお馬は関所を抜けて、讃岐の琴平まで駆け落ちしていきました。
時に純信37歳、お馬17歳でした。
江戸時代なので、関所やぶりは大罪です。
追手の役人に琴平で捕まえられ土佐まで連れ帰られてしまいました。
城下で2人はさらし者になります。
それはそれは大きなゴシップとして人々の話題となりました。
その後、純信はお国追放で伊予の川之江へ、お馬は安芸川以東へ追放となります。
川之江の純信
川之江で地元の顔役の世話になり寺小屋を開いて子供たちを教えています。
お馬は追放後、27番札所・神峯寺の前にあった旅籠で働き始めました。
純信はお馬への恋慕の情が忘れがたく、行商人に変装して土佐にいるお馬に会いに行き、再び一緒に行動することを求めました。
しかし、お馬は従わず口論となったため再び捕まってしまいます。
すでにお馬の気持ちは純信から離れてしまっていたのです。
純信は再びお国追放、お馬は更に西へと移されることとなりました。
それぞれの人生
お馬は移された先の須崎市で、結婚して四人の子供を授かりました。
やがて一家は東京へ移住し、お馬は明治35年に波乱の生涯をとじています。
純信は結婚して愛媛県久万高原町東川に移り住み「中田与吉」と名乗ります。
2人の子供を育て明治21年、69歳で亡くなっています。
おわりに
よさこい踊りは高知を代表する夏祭りです。
毎年、躍動感あふれるビートでエネルギッシュに踊る様は圧倒的な迫力で観客を楽しませてくれています。
そのよさこい節の元となったお話も、恋のエネルギーに満ち溢れた南国にふさわしい情熱的なものだと思いました。
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