定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

長宗我部元親と33番札所「雪蹊寺」

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 定年後の暮らしへ
にほんブログ村

はじめに

高知の桂浜から3kmほど西へ行った所に、こぢんまりとした庶民的なお寺があります。

駐車場から階段を上がると、すぐ境内です。

f:id:teinenoyaji:20210322080242j:plain

 

境内には土佐名物の文旦をはじめとした、お土産物販売のテントがありました。

f:id:teinenoyaji:20210322080302j:plain

 

売店のおっちゃんによる自信作も展示されていました。

f:id:teinenoyaji:20210322080323j:plain

 

 

境内

土井保の墓・本堂・大師堂・長曾我部信親の墓

坂本龍馬の剣の師匠~土井保とその妻の墓碑~

土居保(楠五郎)は日根野道場の師範代で、14歳から道場に通ってきた坂本龍馬を指導し、人間形成にも深い影響を与えたといわれています。

1867(慶応3)年、龍馬が最後に帰郷した時にも会っています。

歴史上の人物を指導した人の墓石が、夫婦そろって残っていました。

f:id:teinenoyaji:20210322080935j:plain

 

本堂

御本尊は鎌倉時代の仏師・運慶の晩年の作による薬師如来さまです。国の重要文化財に指定されています。

f:id:teinenoyaji:20210322080648j:plain

 

本堂の前にはびんずる尊者さまと、木のお地蔵さまや何故かカッパ?のお遍路さんが仲良く並んでいらっしゃいました。

びんずる尊者さまの台座には「摂津国西宮町遊郭中」(兵庫県西宮市)とあります。遊郭で働いていた人々が寄進したもののようです。

f:id:teinenoyaji:20210322080709j:plain

 

大師堂

境内の真ん中にはしだれ桜があり、そろそろ開花の時期を迎えます。満開になるときれいでしょうね。

f:id:teinenoyaji:20210322081211j:plain

 

長宗我部信親の墓所

長宗我部信親は長宗我部元親の長男です。立派に成長し、一族家臣の信望もあり大いに将来を期待されていました。

信親の”信”の字は織田信長から授かったものといわれています。

信親は文武に優れた期待の星でしたが「戸次川(へつぎがわ)の戦い」(大分県)の時に、22歳の若さで戦死してしまいました。

f:id:teinenoyaji:20210322081231j:plain

  

縁起

寺伝によると、空海によって創建され「高福寺」と称していました。

「土佐国編年紀事略」によると1225年創建とされています。寺に伝わる毘沙門天は湛慶の真作で、この頃の作と推定されており重要文化財です。湛慶は運慶の嫡男で、京都の三十三間堂にある本尊千手観音像(国宝)の作者として有名です。

1588年の検地帳には「慶雲寺」と記されていまが、その後、廃寺となってしまいます。16世紀末に月峰和尚が住職になると、長曾我部元親の庇護によって臨済宗の寺として復興します。

1599年、長曾我部元親が病没すると、元親の法名から雪蹊寺と名付けられました。

江戸時代には南学発祥の道場といわれ、野中兼山などの儒学者を輩出します。

明治になると、廃仏毀釈の影響で、1870(明治3)年に廃寺となってしまいましたが、大玄和尚により1879(明治12)年に再興しています。

 

秦神社

現在の雪蹊寺の隣にあります。

1870(明治3)年に雪蹊寺が廃寺となったため、寺に安置されていた長曾我部長宗我部元親公の木像、肖像画(国の重要文化財)を譲り受けて創建されました。

長宗我部元親を祭神として祀っています。

入り口の鳥居

f:id:teinenoyaji:20210322081526j:plain

参道

参道には戦国武将のイラストがいくつもありました。

f:id:teinenoyaji:20210322081545j:plain

 

拝殿

f:id:teinenoyaji:20210322081606j:plain

 

おわりに

雪蹊寺は、長宗我部元親や坂本龍馬、運慶・湛慶といった歴史に名を残している人物と深くかかわっています。

地味な田舎のお寺という感じですが、庶民の信仰を集めて、気軽にお参りできる雰囲気のある親しみやすいお寺でした。