俳句「咳をしても一人」
尾崎放哉(ほうさい)(本名:秀雄)が小豆島で読んだ、代表作といわれる句です。
俳句なのですが、五七五の定型ではなく、自由律俳句といって決まりを抜け出して自由に詠むものだそうです。
尾崎放哉も、自由に破天荒に人生を駆け抜けた人物で、最晩年を小豆島で送りました。
小豆島尾崎放哉記念館
「いれものがない 両手でうける」
これは小豆島で詠んだ句で、庭に句碑が建立されていました。
記念館外観
記念館内部の展示
尾崎放哉とは
明治から大正にかけて活躍した自由律俳句の最も著名な俳人です。
鳥取県鳥取市で生まれた放哉は、東京帝国大学法学部を卒業後、東洋生命保険に就職し、大阪支店次長を務めるなどエリートコースを進んでいました。
しかし、酒と人間関係につまずいて退職してしまいます。
妻と離縁した後は、寺男・堂守として各地を転々としていましたが、師匠である荻原井泉水(いせんすい)の紹介で、小豆島の西光寺にやって来ました。
住職の好意で「南郷庵(みなんごあん)」の庵主となりましたが、8か月ほどして、この地で41歳の生涯を終えました。
癖のある性格で、周囲の評判があまり良くなく、孤立していた人物だったようです。
「咳をしても一人」という句は、小豆島で詠まれたもので、当時の孤独な状況を表しているものなのかもしれません。
尾崎放哉の墓
記念館の近くにある墓地の一角にお墓があります。
お酒が好きだった放哉さんのためでしょうか、いくつかのお酒が供えられていました。
おわりに
辞世の句
「春の山のうしろから烟が出だした」
放哉の句は、一般に知られている俳句の型にとらわれない自由な俳句です。
彼の人生もまた、世間の常識からは離れた自由なものであったことを感じました。
追記:俳句風鈴展
2022(令和4)年8月には、尾崎放哉と関係する人たちの句が、たくさんの風鈴に吊るして飾りつけられていました。
縁側で、俳句と風鈴の音色を楽しむことができました。