定年後の生活ブログ

定年後に行政書士となり、四国のことを発信しています

円珍ゆかりの76番札所「金倉寺」

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「花めぐり」の写真を追加しました。

はじめに

広々とした平野の田園地帯に76番札所金倉寺(こんぞうじ)があります。

空海の生誕地である善通寺の近くにあり、甥の円珍(智証大師)が生まれた地でもあります。

円珍も仏教史に名前を残している偉大な仏教者です。

金蔵寺の位置するところは実り豊かな農村地帯であり、仏教界の偉大な人物が2人も誕生しているところでした。

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金倉寺の境内

「花めぐり」の花手水

古来より四国霊場の71番から77番までの札所7ヶ寺を1日で巡礼する『七ヶ所まいり』という参拝方法があります。

善通寺で生まれた空海ゆかりの地を巡礼した事が始まりだといわれており、江戸時代の案内記などでも勧められているそうです。

コロナの影響を受けているこの頃、7カ寺は参拝者の癒しになればということから「花ごよみ」と称して、手水舎をお花で飾るイベントを行っています。

花手水について詳しくは、こちらをご覧ください。↓↓↓ 

www.teinenoyaji.com

金倉寺の花手水

2021(令和3年)、4月

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2021(令和3年)、5月

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2021(令和3年)年末、お正月バージョン

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2024(令和4)年、春4月

2025(令和5)年、正月

2025(令和5)年、春4月

2025(令和5)年、秋11月

境内

案内図

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仁王門

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本堂

本尊は薬師如来で、智証大師作と伝えられています。1983(昭和58)年に建立された、新しいお堂です。

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大師堂

弘法大師、智証大師、伝教大師、天台大師、神変大菩薩の五祖師を安置する祖師堂です。

観音堂

本尊の十一面観音像は智証大師作とされています。

訶利帝堂(かりていどう)

円珍が5歳の時、訶利帝母さまが現れて円珍を守護すると約束されたので、金倉寺の訶利帝母さまは「日本最初出現訶利帝母」とされ、子供と母親の守り神として信仰を集めています。

子供や女性の守り神ですが、子授け・安産祈願の信仰もあり、地元の人々からは「おかるてんさん」の愛称で親しまれています。

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大師堂・観音堂・訶利帝堂

金箔の大黒天

駐車場から境内に七福神の石仏が点在しています。

本堂前には、金箔を貼って金運アップのご利益を祈願する、金箔の大黒天さまが鎮座していました。

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小判のお札

勝運、金運、幸運、延命祈願のお札を掛けています。「金」に「倉」の名前が付いているお寺なので、小判型のお札です。ご利益も大きそうです。

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ぐち聞きわらべ像

大きな耳で、コッソリ話す愚痴を聞いてくれます。

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縁起

774年、和気道善(わけのどうぜん)が如意輪観音像をお祀りしたことに始まるとされています。

道善の子ども宅成(やかなり)と孫の円珍(智証大師)の働きで、851年には官寺になりました。

円珍が唐より帰国した際に、子供や女性の守り神として知られている訶利帝母(かりていも)の像を彫って訶利帝堂を建立しました。

928年、醍醐天皇の勅によって地元金倉郷の名をとって、金倉寺と改称されています。

度重なる兵火によって江戸時代初期まで無住の寺になってしまっていたのを、高松藩松平氏の庇護のもと天台宗の寺として再興されました。

明治時代には、善通寺の師団長として乃木将軍が赴任され、金倉寺を宿舎としていたことがあります。

円珍(智証大師)とは

814年、金倉郷で誕生し、15歳で比叡山に上って修行します。

845年、役行者を慕って修行を重ね、修験道の発展に寄与しました。

853年、唐に向かい6年にわたって仏道求法の道を究めます。

858年に帰国し、帰国後は道善寺の伽藍造営に尽力します。

868年、延暦寺第5代座主として鎮護国家・仏法興隆に尽くしました。また、園城寺(三井寺)を賜り道場としたことで、天台宗寺門派・園城寺の宗祖とされています。

891年、78歳で入寂。

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円珍(智証大師)像

おわりに

比叡山延暦寺の天台座主を24年間にわたって務め、仏教の発展に大きく貢献した人物が生まれた地にあるお寺です。

空海とも近しい親戚にあたり、偉大な仏教者が香川県西部の地から2人も輩出していることに驚きます。

偉大な仏教者円珍ゆかりの金蔵寺ではありますが、金箔大黒天とか愚痴ききわらべ像があり、現世利益を求める庶民の願いにもしっかりと答えてくれそうです。

今も昔も地域の人々の手によって守られ、多くのお遍路さんたちで賑わっている札所でした。

不動明王さまと大師堂

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