「花めぐり」の写真を追加しました。
はじめに
弥谷寺(いやだにじ)は、古来、霊山とされた標高382mの弥谷山の中腹にあります。
山は日本三大霊場(恐山・臼杵磨崖仏)の一つに数もえられていました。
お椀を伏せたような丸い山が多いとされる讃岐の国ですが、弥谷寺は垂直の崖に添うような場所にあります。
仁王門からの急勾配な540段の石段を上って、やっと本堂となりますが振り返って見ると、そこからは三豊平野の景観を楽しむことが出来ました。
「花めぐり」の花手水
古来より四国霊場の71番から77番までの札所7ヶ寺を1日で巡礼する『七ヶ所まいり』という参拝方法があります。
善通寺で生まれた空海ゆかりの地を巡礼した事が始まりだといわれており、江戸時代の案内記などでも勧められているそうです。
コロナの影響を受けているこの頃、7カ寺は参拝者の癒しになればということから「花ごよみ」と称して、手水舎をお花で飾るイベントを行っています。
花手水について詳しくは、こちらをご覧ください。↓↓↓
弥谷寺の花手水
2021(令和3年)4月
2021(令和3年)、5月
ゴールデンウィーク期間に「花ごよみ」のイベントとして花手水が行われました。
2021(令和3年)、12月末のお正月バージョン
2022(令和4)年、春4月
2023(令和5)年、正月
2023(令和5)年、春4月
2023(令和5)年、秋11月
境内へ行くまで
八丁目大師堂
弥谷寺へ上がっていく車道の途中にあります。
大師堂へのバス乗り場
駐車場のすぐ上に、山上行きバスの待合所があります。大師堂まで運んでくれます。
境内
境内図
参道入り口
駐車場から、階段を上がって左に仁王門、右へ行くと72番札所曼荼羅寺への遍路道です。
仁王門
賽の河原
仁王門から灌頂川に沿って法雲橋までの参道は、昼なお日が当たらず、うっそうとした石段が続いています。
隣に流れる灌頂川が、三途の川の河原を彷彿とさせることから、賽の河原と名付けられたのでしょうか。
金剛拳菩薩
金剛拳菩薩(こんごうけんぼさつ)江戸時代に建立された、高さ6メートルの像です。
煩悩による苦しみから人々を解放する仏様といわています。
108階段
108の煩悩や四苦八苦を落とすといわれる数の階段を上がっていきます。
階段を上がって左手に大師堂、右手を進むと多宝塔・鐘楼・本堂です。
大師堂
階段を上がった所が大師堂で、靴を脱いで拝観、納経します。
洞地蔵尊
大師堂から獅子之岩屋へ続く廊下から、外を見ると断崖絶壁になっています。
かがんで下から見上げた所に地蔵尊が祀られていました。
首から上の病に霊験があるといわれています。
獅子之岩屋
大師堂の奥には獅子が口を開いたかのような岩窟があり、ここで弘法大師が明星之窓をたよりに学問したという岩屋があります。
岩屋には弘法大師・玉寄御前像(母君)・佐伯善通像(父君)の石仏と摩崖仏(まがいぶつ)が祀られています。
明星之窓
獅子之岩屋を外から見ると丸い窓がありますが、これが明星之窓です。
多宝塔
手すりもなく、苔むして滑りやすい階段を上らないと行けません。
観音堂
十王堂
本堂
石段を登り切った所に本堂があり、本尊の千手観音菩薩が祀られています。
すぐ後ろは岩壁になっています。
阿弥陀三尊摩崖仏
本堂から下りる階段から、弘法大師が刻まれたといわれる阿弥陀三尊摩崖仏が岩肌に見えます。
他にも霊山信仰の中で、刻まれた摩崖仏があちこちに残っているようです。
水場の洞窟
枯れることなく流れ出る水場の洞窟が神仏のせかいへの入口だといわれ信仰されています。
曼荼羅寺への遍路道
険しい山中を通る遍路道です。
縁起
聖武天皇の勅願によって行基が堂宇を建立して開創したとされます。中四国の八国を眺めることが出来るということで八国寺と称しました。
空海は幼少の頃、弥谷の獅子之岩屋で学問をしたとされています。
807年、唐から帰国した空海が再び来訪し、獅子之岩屋にて護摩を修し、蔵王権現のお告げにより唐から持ち帰った五鈷鈴と五柄の剣を納め、寺名を弥谷寺としました。
室町時代には天霧城主の香川氏の庇護を受けましたが、16世紀末、兵火により荒廃しました。
江戸時代に丸亀藩主・京極氏の帰依により再興されています。
天霧城主「香川氏」代々の墓
豊臣秀吉の四国攻めにより滅ぼされた香川氏代々の墓石が祀られています。
おわりに
むき出しの巨岩があちこちに見られるだけでなく、急傾斜の山肌が続く山中にお寺はあります。
厳しい自然と対峙しながら、厳格な修行を行った修行者の息遣いが聞こえるような場所です。
霊山の信仰に基づく神秘的な雰囲気を宿しています。まさに現代のパワースポットと言えるような所でした。