はじめに
箸蔵寺護摩殿の前に、7代目市川團十郎であった市川海老蔵が奉納した灯籠が2基建立されています。
灯籠には海老蔵の他、彼の7名の息子の名も刻まれています。
八代目団十郎(長男)
重兵栄(二男)
高麗蔵(三男)
猿 蔵(四男)
幸 蔵(六男)
赤 乎(七男)
権之助(五男)
市川家の定紋である三枡紋も刻まれています。
7代目市川團十郎の略歴
1800年
6代目市川團十郎の急死により7代目を10歳で襲名します。その後、豪快で男らしい芸風で人気を博します。
1832年
長男に8代目市川團十郎を継がせ、自信は市川海老蔵を名乗ります。
市川宗家のお家芸として「歌舞伎18番」を選定しています。
1840年
初代市川團十郎没後190周年の追善興行として「勧進帳」を初演します。
これにより、江戸歌舞伎の荒事の本家としての地位を確立しました。
1842年
天保の改革により、手鎖の処分を受け、江戸10里四方所払いとなります。
この後、成田屋七左衛門、播谷重蔵と改名し旅回り芝居を続けます。
1849年
赦免されますが旅回り芝居は続けていきます。
1855年
前年に長男である8代目團十郎が自殺したため、5男の権之助が9代目市川團十郎を継ぐこととなりました。
この9代目は歌舞伎の芸術性を高めたことにより「劇聖」と呼ばれています。
7代目團十郎と箸蔵寺の灯籠
灯籠には日付が入っていないため、いつ建立されたのか分かりません。
「こんぴら奥の院 箸蔵寺」(http://www.hashikura.or.jp/)によると1845年から1854年の間ではないかとされています。
天保の改革の後、あちこちと旅芝居をしていた時期に重なります。
箸蔵寺の灯籠と金毘羅大芝居
7代目市川團十郎改め市川海老蔵が旅芝居をしていたころに讃岐の金毘羅さんへも立ち寄って歌舞伎公演をしていたのではないでしょうか。
金毘羅さんの門前には1835年に常設の芝居小屋である金毘羅大芝居が建設されています。現在の「金丸座」です。
おそらく7代目團十郎もこの芝居小屋で歌舞伎公演を行ったと思われます。
天保の改革の時までに、彼の名は確立されているので金比羅さんで公演をしたときには大入り満員だったことでしょう。
また、箸蔵寺は「こんぴらさんの奥の院」というぐらいですから、讃岐の金毘羅さんとは大いにゆかりがあります。
7代目團十郎が公演の成功を祈願して箸蔵寺に奉納して建立したと考えても無理はないと思います。
おわりに
現在の市川團十郎は13代目です。
残念ながらコロナの影響で襲名公演が延期となっているようです。
13代目は7代目團十郎が確立した市川宗家の地位をさらに発展させることになると思いますので、益々のご活躍を祈っています。
近い将来に金毘羅さんの門前にある金毘羅大芝居「金丸座」で、13代市川團十郎としての歌舞伎が見られるとホントに素晴らしいですよね。