はじめに
広島県尾道市の因島は、幕末ごろに活躍した天才囲碁棋士「本因坊秀策」の出身地です。
囲碁マンガ「ヒカルの碁」にも登場する人物で、主人公のヒカルに取り憑いた平安時代の天才棋士藤原佐為が、江戸時代の本因坊秀策にも取り憑いていたということです。
今は天才棋士といえば将棋の藤井聡太さんが注目されていますが、囲碁界には史上初の七冠を独占した井山裕太名人といった天才がいます。
「本因坊秀策」も歴史的な天才棋士であり、彼の出身地である因島には「本因坊秀策囲碁記念館」があります。
本因坊秀策囲碁記念館
「幽玄」の間の再現セット
日本棋院にある特別な対局室「幽玄」の間の再現セットです。
掛け軸の「深奥幽玄」は、ノーベル賞作家の川端康成氏によって揮毫されました。
本因坊秀策とは
1829年に現在の尾道市因島に生まれ、幼名を虎次郎といいます。母に囲碁を学び、メキメキと頭角を現しました。
9歳で江戸に行き、本因坊丈和の弟子になっています。11歳で初段の免許となり、15歳で名を「秀策」と改めました。
20歳で第14世本因坊跡目となり、師匠丈和の娘と結婚しています。
21歳で将軍の御前対局である御城碁に初出仕しました。
御城碁というのは江戸時代に、毎年1回江戸城で打たれていたもので、1861年までに530局ほどの対局がありました。
秀策は、1861年に御城碁が中止されるまでの13年間、19局全勝の大記録をつくっています。
しかし、秀策はコレラのため34歳という若さで他界しました。
復元した生家
老朽化のため1972(昭和47)年に取り壊された生家を復元したものです。
2016(平成28)年には、井山裕太本因坊による初の防衛戦となった第71期本因坊戦が行われました。
おわりに
歴史上優れた棋士であった本因坊秀策は、2004年(平成16年)に囲碁を保護し、その発展の基を築いた徳川家康や第1世本因坊算砂、第4世本因坊道策とともに、日本棋院の「囲碁の殿堂」入りをはたしています。
瀬戸内海にある島から、秀策のような日本を代表する歴史的な棋士が誕生していたことを、初めて知りました。
囲碁の愛好家にとっては、因島は大切な場所であると実感しました。
追記
将棋は子供のころから知っていますが、囲碁は分かりません。
子どもが持っていたゲームの「ヒカリの碁」で九路盤を楽しんだぐらいです。
本物の十三路盤で、誰かと本格的に対局できるとカッコいいですね。
囲碁ができる人に、ちょっと憧れています。